『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語』読解(主にまどかとほむらの想いの両義性について)
狂ったように叛逆を見ていました。
劇場公開時一度見たきりだったんですがふと見返したくなってレンタルしたら真っ逆さまに落ちた。
ついでにTV版も見返した。劇場版も見たほうがいいらしいですね。円盤買う。
もう議論し尽くされたろうけれど自分の物語体験をまとめたいので書きますつらつらと。
続きを読む『ちはやふる』は「運命」をどう見ているか――少年漫画と少女漫画の融合
引用部分色つき太字。
『ちはやふる』31巻現在のエントリです。
「運命」は物語のなかでどう描かれているか。
非情な運命に対して抗うことを良しとするか、それをも受け入れることを良しとするか。
それは物語によってそれぞれ違います。
『ちはやふる』は少年漫画である、とよく言われます。
なるほど確かにいわゆる努力・友情・勝利を描き、少女漫画の主題になりやすい恋愛よりもかるた描写を優先するスポ根漫画として『ちはやふる』は位置づけられます。
軸となる物語構造も少女漫画ではあまり主流でない「未来の明確な目標へ向かう」構造を取っています。
これは少年漫画の基本構造と同種のものです。
このへんを私は上手く言い表せなかったんですが、ちょうどよく端的に言ってくれるエントリがあったので引用します。
少年漫画とは『明確な勝利条件』があり、少女漫画は『曖昧な目標』があるということではないだろうか?
千早の勝利条件は「若宮詩暢を制しかるたクイーンになること」と明確です。
『ちはやふる』の構造はまさに少年漫画そのものと言えます。
しかし、「運命」の描かれ方に注目してみると、どうも王道の少年漫画と言い切れないように思えます。
少年漫画における「運命」と少女漫画における「運命」の描かれ方には違いがあります。
一般的に、少年漫画では打ち克たねばならない枷となります。
少女漫画では受け入れるべき器となります。
これはそのまま、『明確な勝利条件』を設定する上で乗り越えなければならない「障害」として運命を描き非情な運命を打破してこそ勝利が獲得できる少年漫画と、勝利条件を持たないために非情な運命すべてを受け入れられる少女漫画の違いになります。
では、『ちはやふる』ではどうか。
この作品は「運命」を単なる枷にはしていません。
『ちはやふる』において「運命」とはただ抵抗するものではなく、深く、複雑に描かれます。
はじめに。
アメブロから一部のエントリを持って引っ越してきました。
正直アメブロ向きの記事を書いていないことはわかっててずっと気にしてたのでやっと今しっくりきている感じです。
無理やり論を組み立てた恥ずかしいエントリなんかも引き継ぎましたが枯れ木も山の賑わいということで。
自己紹介とブログ方針。
琉璃と申します。
漫画とアニメとBLと百合とリバとアイドルと新居昭乃さんが好きなセクシャルマイノリティ属性の女です。
更新頻度は低いですが主に漫画やアニメの考察・分析をやっていくブログになります。
特に現代少女漫画は個人ブログで考察をするような素人好事家が他の漫画やアニメやラノベより少なく、「(ジェンダー規範に沿った)男女恋愛もの」というなんとなくのイメージだけで語られやすいので、なるべく突っ込んで明かしていくのが理念です。
(正直面白い漫画に対して「少女漫画なのに」「少女漫画だけど」という枕詞がつきあまつさえ「少女漫画を越えてる」とか評されるのが鬱陶しいです)
今までのお気に入りエントリはこのあたり。
koorusuna.hatenablog.jp
「前世もの」作品の構成要素――少女漫画と少女漫画以外の相違性
koorusuna.hatenablog.jp
『蒼穹のファフナーEXODUS』における「人間らしさ」とは何か
koorusuna.hatenablog.jp
商業BLにおけるセクシャルマイノリティの表現について
koorusuna.hatenablog.jp
新居昭乃 5つの曲の繋がり 考察
ブログタイトルは新居昭乃『凍る砂』より。
それでは。
「前世もの」作品の構成要素――少女漫画と少女漫画以外の相違性
引用部分色つき太字。
『花まんま』『スピリットサークル』『懲役339年』『ファンタジックチルドレン』『妖狐×僕SS』『密・リターンズ!』のネタバレあり。
前世。
それは運命のことわりによって生を越えてつづく魂の前身。
肉体が死を迎えても滅びぬ魂が新たな肉体をもって生まれ変わることわり。
身体と魂が分離した別個の存在であるとする物語。
さて、そのように世界を見た作品は世界中に根強く存在しています。
そこでのほとんどの作品は、肉体を移し変えただけで現世と前世でまったく同値の人格を取ります。
そうでなくとも、「生まれ変わる魂」への疑問を一切持ちません。
しかし全体的に見れば僅かながらそれへの疑問を指摘し運命と自我の兼ね合いに反発・葛藤・考察する作品が現れています。
本記事が言及していくのはそういった作品についてです。
よってここでの「前世もの」の定義は「生を越えてつづく自己に懐疑を抱く転生作品」とします。