青い月のためいき

百合とかBLとか非異性愛とかジェンダーとか社会を考えるオタク

現在の「女性」表象・表現をのんべんだらりと眺める

松本まりか
あいにく松本さんの知名度や人気がどのへんにあるのだかいまいち掴めていないのだが、ここ数年でブレイクしたことは確かである。
古参ぶってみるが私はなぜだかドラマ『六番目の小夜子』が三周見るほど好きだったのに栗山千明鈴木杏のことしか覚えていない。
今松本さんが出てるからなんとなく見てみたり写真集を買ったりする行為は単なるミーハー心に由来する。

さてさて。
そんな感じで社会現象のど真ん中を見定めるような記事にはならなくて、ただ私の観測範囲に映る限りで社会の雑感を記録するのも悪くない、程度の気晴らしだ。
後年読み返すと面白いんじゃないかと思う。



松本さんがこのふたつのCMに出てるのを見て「現在」地点がどこにあるのか実感する。

鏡月は、チューハイを手に『はじめてのチュウ』をほろ酔い気分で歌っている。
当然チューハイとチュウを掛けており、あわよくば松本さんとのキス……までも連想させる作り。
お得意の甘い猫なで声で酒を宣伝する松本さんはさすがの「あざとさ」。


一方GUのほうはTwitterを模したSNSに投稿される「松本まりか?あざとくない?」のつぶやきに対し「本当の私、知りたい?」と小気味よく眉を上げる松本さん。
他にも芸能人が「中条あやみ、なんかキライ」→「嫌いは好きの始まりかも!」等と中傷を"ポジティブ"に打ち返していくコメントが代わる代わる流れていく。
ラストは「ファッションは自由だ ~GU~」で締め。

今っぽ~ と思ったのだった。
別に良い意味でもなく。

なにが今っぽいかというと、キラキラしたメッセージの中に「女性の主体的な自由意思」の提示が以前よりも色濃い部分のように思える。
女はもっと自由になれる、もっと自分らしく輝ける、自分の意思を貫いて楽しもう!
そんなメッセージ。

ただまあ、ネガティブなメッセージを自らの意思でポジティブに変換してゆくのは、「ネガティブなメッセージ」とやらの加害性に目をつぶっているに過ぎない。
このCMは中傷の言葉がただ単に加害であり、言われた本人は怒っても悲しんでもいいものである、むしろ目をつぶるのは不健全である、とまでは踏み込んでゆかない。
このように自由さを称揚しつつその実画一的な方向性へ促しネガティブ感情に蓋をすることを強いる働きには注意しなければならない。
良い意味でないというのはそういうことだ。
だが、意思を持てと女を導く現在流れ自体は悪くないんじゃないか。主体性があるに越したことはない。

鏡月のほうは意思もなにもない。
美女に媚びられたい誘われたいヘテロ男性の願望に対する理想的応答である。(媚びられたい女にも刺さるのだが、往々にしてそういう層をあらかじめ想定してはくれないのだ)

松本さんてなんかそういう"今"の二面的な女性観にちゃんと収まるお人だよなあ、と思った。
きっと少し前までだったら鏡月のような、ソフトバンクのCMのような小悪魔であざとかわいいイメージしか全面に推されなかったんじゃないかな。『ホリデイラブ』で躍進したのだからなおさらに。

しかし媚びた小悪魔は2014年石原さとみも『失恋ショコラティエ』で演じており、その後彼女は健気でも媚びでもないキャラクターへ配役されている。

石原さとみは、日本の女子の生きづらさを映す「鏡」である(西森 路代) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)

松本さんも、だから、「あざとかわいい」だけで行き詰まらない道が今はそれなりに豊富に存在するように見えてひとまず安心する。

松本さんは元より豊富な引き出しがあって、ふしぎな魅力が現代に適応しているなあ。
なにしろ甘ったるい媚びと、長い「下積み時代」で培われた芯の強さと、肌を露出する色気が同居している。
ファフナーの話をすると、EXODUS最終話の「撃ってもよかったんだよ」の演技に、いままでの真矢からの変貌に戸惑った松本さんが演技指導に激しく反発したエピソードが個人的に印象深い。

そういやオタク文化の嫌いなところもいっぱいあるけど、美女が媚び媚びに甘えるあざとさに男も女もめろめろになるところはわりと好きだなと、『ラブライブ!』ライブメイキング映像(https://youtu.be/28v59mFdWI4?t=812)を見て思い出した。
松本さんをただかわいがるオタクたちのことは好きだったのよ。
松本さんの媚び感は、15年くらい前なら非オタク層は男も女も鼻についてた気がする。
今は一部どうにも嫌いな人もいるけど、全体的には2-30代の女性に支持されているようだし松本さんを受容できる社会なんだろうことは素直に嬉しい。
もはや「男に媚びる女に嫉妬する女」と勝手に悪役配置されるのに飽き飽きしているのだ。
かわいさを求められ審美眼が鍛え抜かれルッキズムを内面化してきた女たち、私たちはそもそも、かわいい女が大好きなのだから。
あざとかわいいが褒め言葉になる社会とは、「媚び」がセルフブランディングされた主体性を帯びる性質の概念になっている社会なのだろう。
だから鏡月のCMにもGUのCMにも出演できるし、目をすがめて挑戦的に肌を露出させ自ら魅せるグラビア写真も出版できる。


・ファッション誌
二ヶ月連続で美容院行ったのでさまざま女性ファッション雑誌に読み耽った。
ついでに本屋寄ったりkindle unlimited利用したりして補完してみた。
現代の空気感を知ってれば意外でもなんでもないが、月を跨いで20冊は読んだであろう中に「男モテ」を意識した雑誌は1冊しか見当たらなかった。
モテよう♡カレのためにかわいくおしゃれしよう♡
なんて概念はもはや一冊に留まる程度の一ジャンルなのだな。
もちろん「かわいくなろう」「美人になろう」のメッセージは健在だが、それが誰のためかというと、明にしろ暗にしろ、自分のためだと言う。
今は「自分らしさ」がキーワードなのだ。

私は『VOGUE』『NYLON』『装苑』みたいな元々尖ってる雑誌しかわからんし、あとは『VERY』『non-no』くらいしか元々の色を知らないのだけど、『JELLY』2021年4月号の一節はなんか意味わからんくて面白かった。

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『JELLY』2021年4月号

そんな『JELLY』の提案してきた、COOLでモテる="カジュアル美人"なスタイルは、自分らしく、媚びないおしゃれを実現させてくれます。

モテなのか媚びないのかどっちなのか。
媚びずに自分らしくカジュアル美人になればモテる??
2000年代的なモテ♡と今っぽい自分らしさを両立させようと頑張っているらしい。移行期かな?


別にモテを目指さないばかりか、もう一歩手を伸ばして現代のトレンドとしてのフェミニズムを打ち出す雑誌もちらほら散見される。
『with』2021年3月号もそのひとつ。
月経への対処特集、武田砂鉄や小島慶子の男社会へ疑義を唱える連載、「「産む」「産まない」はあなた自身が決める時代」のコピー、「産まない」選択肢のひとつとしての里親・特別養子縁組、また両者の違い解説、女性同士カップルYoutuberのインタビュー、女性同士のキャリアアップマッチングアプリの紹介。

ELLE JAPON』もはっきり「フェミニズム」と言っている。

フェミニズム吹き荒れる!今読むべき女性作家たち

これらのキラキラフェミニズムを私がある程度歓迎しつつも距離を置きたいと思うのは、社会の不均衡や理不尽な差別を慎重に遠ざけ、あくまで個人がキラキラと活躍するための手段と見紛わせる宣伝だからだ。
コラムなんかではきちんと理不尽な社会構造について言及されている。
しかし全体的なメッセージレベルになると、社会の体制を脅かさないように、誰の心もざわざわさせないように無害化された笑顔の女性個人、の表象しか受け取れない。
戦うんじゃなくしなやかにポジティブ変換していくGUのCMと同じ。

BLAST Inc.|コーポレートサイト

私たちは、
ほんとうは、
もっと自由だ。

世の中のルールや、身につけた常識に、
私たちは知らず知らず縛られていくけれど。

あなたの人生は、あなたのもの。
もっと自由に選んでいいことが、
本当は、たくさんあるはず。

化粧は、自分のためにすればいい。
パンプスを履かずに、仕事してもいい。
恋人がいなくても、満ち足りた毎日は過ごせるし、
結婚しなくても、子どもを持つ選択をしてもいい。

最も今っぽ~が詰まったフレーズがこのサイトである。

私がこのキラキラフェミニズムを歓迎するのは、まこと反体制派の後を追う(政治的意味での)穏健派の役割を全うしている点だ。
石川優実さんが始めた#KuTooは当初こそ「反体制」的であり、壮絶な反発を食らった。
しかしこの運動が実を結び、社会を変えてゆくと「労働時は労働に適したローヒール・ヒールなしの靴を履きたい」というきわめてあたりまえの主張は「これからのあたりまえ」として浸透しつつある。

「パンプスを履かずに、仕事してもいい。」、ここの部分は#KuToo運動の結果にほかならない。
このブランドメッセージは、今まであたりまえではなかった慣習を社会に定着させることに貢献している。
大いに意義深く結構なことだ。


しかしこのメッセージの中に私が最も鼻白む「今っぽ~」がある。

化粧は、自分のためにすればいい。

めちゃくちゃ今っぽい。
「現在」は、「メイクをしなくてもいい」とは言ってくれない。
資本主義社会の利を害するからである。

先の『ELLE JAPON』を見てみよう。

メイクでエンパワーして新しい自分に!
誰かに見られるからじゃなく自分のために。意志を表現するメイクが今、力をくれるはず。

雑誌は着飾る女を掲げなければならない。
コスメを売らなければならない。
化粧品会社も服飾業界も同様だ。
「メイクしなくてもいい」なんて言えるはずがない。
『ゼクシィ』の話題になったコピー「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」くらいの穏当なフレーズがこの先広告されるようになるかもしれない。
でもまだ全然そんな時代じゃないし、口が裂けても「メイクしなくてもいい」なんて言えない。

で「自分らしさ」推しの「自分のためのメイク」になる。
自分がアガるための。


カネボウCM
そこにひとつ言葉選びを誤って波紋を呼んでしまったカネボウのCMがある。

「生きるために、化粧する」
note.com

詳細はリンク先に委ねるが、既に取り下げられているこのCMは「自分のためのメイク」トレンドの欺瞞性をあぶり出している。

メイクは社会のためなのだ。
儀式のためにしろマナーのためにしろ異性のためにしろ、メイクが純粋に自分のためだけに存在することなどありえない。
文字通り、メイクしないとその社会で生きてゆけないから、女性は「生きるために化粧」してきた。
CMは女性の主体性をアピールしようとして失敗し真逆のメッセージを発信したから批判されたのだ。
これからも女に化粧を強いる気かと。

「自分のためのメイク」は、そういう強いられた状態から主体性を取り戻すためにこそトレンドになっている。
しかし「生きるために化粧する」から「自分のために化粧する」へと移行したといっても結局メイクをすることに変わりはない。

「自分のためのメイク」は社会の形を脅かさない限りで、他者目線をけっして手放さないまま、自己基準だよ自由にしたらいいとうそぶいているように見える。
つまり本当にメイクしない自由もする自由も好きなメイクをする自由もあるなどとは言えないのに、あたかもすべて自由に選択できるかのようなメッセージを振りまいているのではないか。

「自分のために化粧する」は「生きるために化粧する」と対立する価値観なんじゃなくて、未だ「生きるために化粧する」の中にある小カテゴリーなんじゃないの?

であるならば「自分のためのメイク」概念はまだそれ自身の価値を発揮しておらず、生きるためにメイクをしつづけなければならない現実を意図的に無視している。

カネボウのCMでそんな欺瞞性があぶり出されたのではないか。
なのに「自分のためのメイク」とさえ言えばそんな欺瞞は隠され、批判を免れるのが、「今」なのだ。


欺瞞から目を逸らすキラキラフェミニズムの感覚には見覚えがある。
キラキラセクマイ像だ。
セクシュアルマイノリティのためのパレード「東京レインボープライド」2014年のテーマは「人生いろいろ♪ 愛もいろいろ♡」。
LOVE全面推しで、アセクシュアルトランスジェンダーの問題はテーマから捨象され、怒りはそっと蓋を閉じ、マジョリティに聞こえのいい宣伝ばかり取りざたされる。
「自分らしさ」全面推しのキーワードも全く同じ。
流行りと見るや金とブランドイメージ向上に抜け目のない企業は増え、東京レインボープライドで年々増加する企業ブースは今もすくすく出展が伸びている。
去年も今年もオンラインなのにね。

ただ現在はすこし様子が変わってきているなあ。

声を上げる、世界を変える
Our Voice,Our Rights.
About TRP 2021 | 東京レインボープライド2021

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横山由依
「鏡を見るのも嫌だった…」アイドルの私が胸を張って「メイクって楽しい!」と言えるようになるまで
「今、フェミニズムに関心があります」アイドルの彼女が自分の言葉で語り始めた理由

恥ずかしながら横山由依さんのことは顔と名前しか存じ上げなかったのだけど、このインタビューはひとまず評価したい。
日本の女の子アイドルが「フェミニズムに興味がある」と発言することは、他のどの芸能人がそう言うより数倍勇気と覚悟が要るような気がするから。
和田彩花さんについてもえらいな~という他人事な感想が先に立つ。

しかしインタビューを読むとほんとう、今の「化粧キラキラフェミニズム寄りだな~と感じる。いや、芸能人こそがキラキラフェミニズムを発信することに意味はあるのだが、現在地点を体感する、感想として思う。

容姿がコンプレックスで、だから痩身を目指して、その過程でメイクを頑張って、メイクの効能に気づく。

「本当に写真映り悪いな〜自分…」っていつも憂鬱だったんですけど、ある日「あれ、この1枚だけ、いつもよりかわいいかも!?」って瞬間があって。

すごくうれしかったし、自信が持てたんです。生きてさえいればいいことある! みたいな。言い過ぎかもだけど本当にそれくらいの気持ちだった(笑)。

容姿が良くなっただけでそう言うことになってしまう社会、裏を返せば容姿が悪いだけで生きるのが絶望的になってしまう社会が恐怖でしょう。
残念ながらこの気持ちはわかってしまう。
特に自己基盤がない、ほかにこれが自分だと思える人生経験も積んでいない若い子は、容易に「容姿がすべて」の世界に囚われてしまう。

その絶望を救ってくれるのがメイクだと言うなら、最初に絶望に突き落とす社会にも疑問を向けなければならない。
実際フェミニズムは今までそこに切り込んできたが、社会文化レベルで見れば、現在はまだそこに一歩踏み入れた地点なのだろう。

私の場合は「痩せたい」が最初の動機でしたけど、だからと言って、太っている人は必ず痩せなくちゃいけないわけじゃない。太ってようが痩せていようが、自分が好きな自分でいることが一番大事だと思います。

ただ、太っていることで自分が嫌いになってしまっているんだとしたら、変える努力をする価値はあると思う。

個人としてはその生き方も間違ってはいない。私自身もその戦略を採用している。
ただ太っていることで自分が嫌いになってしまったら、嫌いにならせた元凶までもを考える必要はある、ということ。

柏木由紀さんのYoutube「コンプレックス解消メイク」シリーズも参考になる。
メイクはコンプレックスを解消してくれるのだ。
では容姿にコンプレックスを抱かせてくるのはなんなのかの問題にまでとりあえず到達しなければならない。
柏木由紀さんはこの前「死ぬまでアイドル」と公言してるインタビューを見て応援したくなった。


・ふくれな
ふくれなさんもコンプレックス解消変貌系メイクのYouTuberだな~。
砕けた口調で飾らない物言い、私が見ている数少ないYoutuberのうちのひとりだからなんとなく話題に上げる。

素顔を見せるときはサムネで変顔。
「お高くまとまらない美女」「努力でかわいくなった女の子」が女の子に好かれることをわかっている。

そういえば美容系Youtuberは女だろうが男だろうが誰も男目線の話を持ち出さない。
こうすると男ウケがいいよなんて話は視聴者ウケが悪いんだな。

ならば努力でかわいくなった女の子が好かれる理由はなんだろう。
努力で料理上手になった女の子と比べてみると断然前者が好感を集めるし、別種の特別さが存在する気がする。
料理は男ウケ、つまり他者目線が混入するけど、メイクはもはや自己実現の手段だからだろうか。
厳密に言うと、「手軽な自己実現の手段」としてブランディングされているからだろうか。(だって料理だって他者目線ではない独特の世界がある。別のブランドだ)

もちろんカネボウのCMの話にも出たように、現在の「自己実現のためのメイク」は大いに矛盾をはらんでいる。
「容姿良くあれ、さもなくばまともに取り合わないぞ」
そんな暗黙の了解が社会にベットリ貼りついているからだ。
強烈な他者目線を見ないフリしたまま「他人は関係ない、自分らしく自分軸でメイクしよう」なんて欺瞞もいいところだ。
他人が本当に関係なくなったら、自分らしいメイクを追求する人よりメイクしなくなる人のほうが多いんじゃないか。

根強いルッキズム(容姿良くあれ、さもなくばまともに取り合わない)には立ち向かえずに、まずは他者目線から自分目線を取り戻そうとする一歩が「今」の自己実現メイク需要なのだろう。

しかしメイクにハマる女の子は本当は「容姿良くあれ」という社会の要請を嫌というほど知っている。
「努力でかわいくなった女の子」は単なる自己実現――例えば男性でいうボディビルダーのような、どこまでも主体的な肉体美表現――のみをまとっているわけではないんじゃないか。
「社会からの要請(=他者目線)に対しストイックに応えていく健気さ、努力の道程の途方もなさ」がどこか想像できてしまうからだ。

「努力でかわいくなった女の子」にはそんな自分軸と他者軸がない交ぜになった存在として支持を集めているように見える。
ふくれなさんの砕けた口調やわざわざ変顔して不細工に見せる素顔は、「美という権力を手にしたからって調子に乗ってないですよ」という横並び志向的な配慮でもあるけれど、同時に「主体的な自己実現メイクの実践」と「他者なんて関係ねえとまでは言えなくて社会からの要請に応えるサービス精神」が渾然一体となっている証左ではないか。


月ノ美兎
話は変わってYouTuberといえばVTuverの月ノ美兎さんなんだけど、こないだ初めてじっくり配信アーカイブを見た。
まじでキャバクラだな~と思って感嘆した。キャバクラ行ったことないけど。
昔家電セールスのバイトをしたことがあって、10代前半の女の子2人に売りをアピールしたらキャッキャしてくれたことが衝撃をもって記憶に残っている。
その家電は明らかに10代女の子向けではないのに、常時笑顔で良い反応をしてくれるから調子に乗ってあれもこれも説明しパンフも渡してしまった。すぐ捨てられるだろうにと気づいたのはその子たちが去ってからだった。
あ~私はキャバクラ行ったら良い気分になれるタイプの人間なのだ、年下のかわいい女の子に気を遣わせていることにも気づけない鈍感な質なのだ。
それで衝撃なのだ。


前世療法の回だった。
私は前世療法に興味があるので見たんだけど、肝心のカウンセリングは求めていたのと違った。私はカウンセラーに前世を言い当てられたいんじゃなくて自分で思い出したいので……。
そのカウンセリングはカウンセラーの男性とふたりで個室に入ってリラックスし、前世を観てもらう、という形式だった。
画面半分に勢いよくコメントが流れていく。「AVじゃん」「竿役」「犯される」の文字が並ぶ。

VTuver、特に月ノ美兎さんは、中の人である自分を押し出さず、漏れ出さず、初めからバーチャルな存在として生きている建前を成立させる膨大な情報量をコントロールしているという。
けど実際は、ミッキーに中の人がいるように、月ノ美兎さんにも中の人がいて、恐らく現実で前世療法を受けに行っている。
「なんらかの事情(エクスキューズ)で男性と密室でふたりきり=AVシチュエーション」の捉え方は、フィクションで理想のファンタジーが現実では暴力になる事実を曖昧にする。
コメントが向けている先はフィクショナルな世界で、月ノ美兎さんの身にも危ないことがないとわかっているから、「AV」は冗談になる。
けれど「性行為を目的としていない場に行って、性的暴力が発生してもおかしくないシチュエーション」は言うほど冗談ではなく、実現可能な状況にそわりとした恐怖が付きまとう。

別に本人はコメント群に不快だとか暴力的だとか思ってはないだろう。
VTuverとはフィクションと現実の区別がつかなくなりやすい装置だな~と思ったのはただそれだけの感想だ。

キャバクラだな~と思ったのは月ノ美兎さんの下ネタの返しが絶妙だったからだ。
けして「AV」とは言わず、「洗脳アプリwセラピー(意味深)ではありませんからねwリンパじゃありませんからw」と答える。
この微妙に遠回しな物言いのマイルド感。
一回答えたあとはその手のコメントを一切無視。
「なぜか乳頭にリンパがある本の話はしてないですからねわたくしw」
こんな(オタク)エスプリの効いた返ししてくれたらうれしくなっちゃうに決まってるよな、視聴者って自分の言葉にキャッキャしてくれるから調子に乗ったあの日の私そのものだ。

ドン引きするようなえげつない話はしてほしくない、けど視聴者に相通ずる下ネタで共犯感を提供してほしい、気軽に寄れる隙がほしい、でもやたらと媚びるように長引かせてほしくない。
だから安心して流れるコメントのひとつに安穏と隠れながら下ネタをぶつけられるんだろう。キャバクラだ。
どうやら下ネタ自体は発言する人らしいけど、だいたいこういう感じなんだろうな。
ひたすらにすげえな~ と思っていた。


・某日バラエティ
テレビ見てたら超絶技術力を駆使した内職で常に予約は二か月待ちという女性が特集されていた。
破れて穴が開いた服の縫製を毎日ひたすら自室で18時まで行い、終われば家事に向かう。
三人娘を抱え、あと夫と犬と暮らす。
縫製技術を一通り紹介したあとはその女性の来歴が語られた。
数年前まで企業勤めしていたが、それでは娘たちを見る時間が取れないと退社。
子育てに余裕ができたから今の仕事を始めたと。

専業主婦のセカンドキャリアとして理想のモデルだなあ、だからテレビで取り上げられるんだろうなあ。
専業主婦とパート主婦が多い今の世代に向けた番組だ。

彼女は言う。
「娘にこの職は最初は勧められない。出会いがなくなるから。いつか結婚したら有りだけど」

10代の子どもがいずれ結婚することを、誰かと「出会う」幸せを当然のように幻視している言葉。

この番組も「今」なのだ。そういう記録をする。
てれびはずっと今までもこれからもそういうものだねえ、ふるいねえ、じゃなくて、まさに今、「子育てでキャリアを断たれる」とか「夫婦と子供と犬で一軒家」とか「異性と結婚するものだ」とかの価値観が、馴染み深く、当然の幸せとして提示されている。
古いから悪いんじゃなくて、功罪のある価値観を、功罪あるものではなくまるで功しか詰まっていないかのような形で広く受容されるのは端的に詐欺だしそこから外れた人を社会的経済的に孤立させる。
セカンドキャリアで成功する部分は稀有な夢物語なのに。家族と犬との一世帯マイホームだって高望みになってゆくこの時代に。(この特集の人がマイホームかどうかは知らんが)

けれども、旧来の幸福がぬくい白湯のように喧伝されるのもまた「現在」なのだ。
松本さんがヘテロ男性向けの、ちょっぴり性をトッピングした甘々媚び媚びの鏡月と、女性向けのはっきりとした芯を感じさせるGUのCMに出演する時代というのはそういう意味だ。
ぬくい白湯と、パリッと目覚める水が両立する時代。
別に水も苦くない、飲みやすいの。(とまで言ったらわかりづれえ比喩だな)

・某日ワイドショー
某日ワイドショーでは、森喜朗の女性蔑視発言の翌日は「女性蔑視とも受け取れる発言」と紹介されていた。
発言の是非を解説するために呼ばれた学者やジャーナリストは性別問わず「女性蔑視である。なぜなら女は女というだけで能力がないと見下しているからだ」と断言していた。
連日批判が長引くと番組でも「女性蔑視発言」と言い切るようになった。司会も、ゲストも、いやあものすごい女性蔑視ですねえ、と同調していた。
しかしこないだまた(おそらく)同じワイドショーを見たら「女性蔑視とも受け取られかねない発言」に戻っていた。
詳しい内容までは見れなかったけど、なんか、揺れ動いてるんだなあ、と思った。