青い月のためいき

百合とかBLとか非異性愛とかジェンダーとか社会を考えるオタク

(移転記念感想記事)その日、朱音は空を飛んだ/武田綾乃

感想レビューブログをはてなに移転させました。
移転作業が地味に大変だったのでお気に入り記事をこっちのブログにも転記して供養しよう企画やります。
全部で5記事予定。

第1弾です。
お気に入りポイント:
この小説の直前に読んでいた『女の子を殺さないために』への新鮮な批判がぎゅっと詰められていて好き。
『女の子を殺さないために』は、男側から見た「女の子を殺す快楽あるよね、回避させたいね」という物語構造分析で、「快楽がある」ことへの無条件の肯定がある。
そこにモヤモヤしていたから本作からあふれる「私は快楽の客体じゃねーー」に癒されたのでした。

2018/12/02
remain.hatenablog.jp

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信頼できない語り手ばかり……!
感想!長い!

ずっと夏川莉苑について考えていてやっと噛み砕けてきた。
「いじめ」を抱えているのかよ……。
そこだけ唯一おばあちゃんの教えに背いたかもしれない夏川莉苑の汚点がアンケート結果なのか。

好奇心と、復讐心。どちらもたぶんある。
復讐ってなにに対する復讐なのだ? というのがまずあった。読み込みが浅かったので……。
「世界は生きている人のためにあるべき、なのに、死人が生者の世界を乱すなんて許せない」という復讐なのか。
死んだら復讐できない、生きているうちにしか。その生きている瞬間だけが、チャンスだった。

でも、人の心を踏みにじった夏川莉苑、正々堂々とやったのが最善の選択ということに迷いはないけれど、でもフェアだっただろうか? あの場面で人の心への復讐は、果たして「いじめはだめ」との教えに背いてはいないだろうか?
……という解釈でよろしいか。まあそう思っておく。
そうであるならば夏川莉苑おまえは罪を背負った子供にならねばならない。
自分の罪を反芻して、おまえだけが──高野純佳でさえ解放されるのに──朱音を忘れずに生きなければならない。
夏川莉苑、おまえは憎き死人に乱される。じわじわと。生きているのに。生者のための世界にいるのに。

……いやアンケートさえなければこれは完全に夏川莉苑勝者だったのに……。
夏川莉苑自身はただ純粋に答えのない問いとして沈思黙考してるに過ぎないとしても。(決意したとて、いつまでも子どもでいられるだろうか?)

好奇心においては完全勝利を収めているか。
人が死ぬときに見る夢を。
あるいは朱音が描いた出題意図とは別ルートの解法を。
ドクゼリの夢を見せるために! 出題者に「解けたよ!」と見せびらかしたい無垢な子供。



いやーなんかね、このまえ『十二人の死にたい子どもたち』を読んだんですけど男女キャラの配置が引っかかるったら。女6人中3人ヒステリーて。
せっかく面白い謎かけなのにな~と。いやこの作品に限ったことではないのですがもちろん……。

だから男がひたすら「侮辱」される作品読むと癒されますね……。
中澤あけすけミソジニストすぎてもはや楽しいですが、中澤のような男にとってなにが侮辱にあたるかといえばもちろん女に相手にされないことなわけで。自分の優位を保つには劣等種たる女が必要だから。
通常なら中澤は男の中でも優位だから劣等種なんか気に留めなくてもいいはずなのに、塾講師に反抗したばかりにおまえの生殺与奪は女に奪われたのだ。
夏川莉苑にも川崎朱音にも細江愛にも最後に桐ヶ谷美月にも!
並べるとすげーな。武田さんどれだけ中澤の鼻をあかしたいの……大好き……。


だからねー!!私はだんぜん愛が好きです!!
もう、もう、もう、私は、男作家の小説の中で描かれる細江愛のような女が、大嫌いなのだ。

美人でケバい→頭からっぽのバカ
美人でケバくて女にあたりが強い→女コエエ
美人でケバくて女にあたりが強いが男とは仲良し→本人は純粋なのに女には嫌われるかわいそう俺が守ってやらねば
美人でケバくて女にあたりが強いが男とは仲良しでたったひとりの男に純情→"そんな女"を支配した俺

どこを取っても男を慰撫する造形になる。
主人公でないのにそういう女を女と付き合わせたの最高では……?
たったひとりの男に純情で別れの往生際さえ悪かったのに「別れたときは悲しかったが今の愛に彼は必要ない」とばっさり。
これだけでも充分気持ちいいのに図書室で美月が愛の腕に絡んで中澤を牽制、そして愛がそれを「可愛らしいなあ」と言ってるのがもう……こんな感情……女しか共鳴できないじゃん! 正直ここのシーンに限って言えば恋人でなく友情関係ながらにそういう牽制と悦があっていてほしかったと思うほど。
中澤の章で愛の薄っぺらなテンプレ女像が描かれれば描かれるほど、「しかし今は女を求めている」落差がたまらなく小気味いい。
男性作家の目に映るテンプレ女への批判にもなっている。女はほんとうはもっと豊かなのだ。
中澤の章へ行く前にすでに愛の肉づけは完了している。
主要女キャラがみんな美人設定なの、男への復讐ですよね……。
男が手に入れたがる「価値ある」女が誰も男に目を向けない、ざまあみろと。

しかし私は異性愛予防線に抜かりない悲しい業を背負っているので、中澤目線でまだ未練があるかのようなそぶりをした愛への警戒がとれなかったりした。章題でほっとした……。
だって美月のことは好きにやらせてるだけで本当はまだ中澤が好き……って解釈にする、女テンプレート異性愛マグネット、よくあるじゃないの……。この社会を信用していないので。まあ、よかった。




『女の子を殺さないために』(川田宇一郎)を相手どって叫びたい。
これが女が女を愛する世界だ!!!!
女は「殺される」客体じゃねえ!女は女を殺すし女は自分を殺すんだ。
『その日、朱音は空を飛んだ』、見事に『女の子を殺さないために』のカウンターをやってのけた。

以前まとめたフィクションの中で女の子が殺されるメカニズム。

女の子が落ちる(しばしば男とのセックスによって処女でなくなる)
女の子がママになりゆく
女の子が殺される(死ぬ/消える/去る)
女の子がママとして周縁化されずに包囲網を突破し世界のしがらみから解き放たれる(ことで受け手の解放への欲を満たす)

あはは。
ていうか、フロイトの理論が特定の地域・時代でしか通用しない概念だったように、『女の子を殺さないために』も特殊の条件下にしか適用できない理論なんだろう。
その条件とは「男社会」である。
だって女の子を殺さないために、だもん。誰が殺すの? 女の子じゃない人でしかありえない。ここでは男だ。

殺される女の子の痛みと叫びを描いたのが山戸結希だとしたら、武田綾乃は殺される女の子の残酷な"真実"を描いた。
このふたり、女が女を欲望すると知らしめたこと、元来美しく象徴化されてきた殺される女の子に語る口を与え生身を暴いたことが共通している。

第一章で意図的にベタな「女の子が殺される」物語解釈をやってるんだよね。
朱音が中澤と付き合ったから中澤を好きな純佳が嫉妬して朱音を自殺に追い込む。
世界の中心は男。
朱音は男によって処女でなくなりママに近づいたので落下し、ピュアな魂が最大限に崇高化されるように死して、この世の呪縛から解放されるカタルシスを得る。俺のこと大好きな若く美しい女のままで死んでほしいからね!!!

もちろんそんな陳腐な話ではないことは最初からわかっている。
カウンターなのだ。
二週間かそこらの交際期間でさすがにセックスまではしてないかな……。してたら中澤が地の文でさらっと愉悦しそう。細江愛のときのように。でも朱音の必死さからいってしててもおかしくはない。どちらにせよ本作は「男の手によって処女を失ったことでママになりゆくから死ぬ」物語にはならない。
おまえは女を愛する女の駒だ。

ママになっていかないならしがらみ化(おばさん化)する心配もない処女。処女は処女のまま美しく、男にとって価値がある。にもかかわらず死ぬ。
『女の子を殺さないために』では「なぜ女の子を落下させたがるのか?」と問いを立て「この世のしがらみから解放されるには落下するしかない、落下できるのは女の子しかいないから」と回答しているが、これも、男の(あるいは死を身近に感じたことがない者の)手前勝手な幻想に過ぎない。殺される心配がないから死をロマンティシズムにできる。まあ、骨子としては落下させるだけさせて殺さないラブコメをやっていくのが女の子を殺さない秘訣だよ、という論ではあるが。

閑話休題
『その日、朱音は空を飛んだ』は、「崇高な目的に耽溺して落下し愛のために死んでいく女のロマンティシズムを粉砕する」話だ。
解放されるはずがない。
朱音に語る術が与えられなければ暴かれなかった"真実"。
かつて物語に殺されていった女の子たちの、生身の声。
ロマン、カタルシス堕落論といった陶酔では生身の人間の死を捉えることなどできない。

「彼らはドラマチックな物語に飢えている。朱音の死を単なる娯楽として消化しようとする他人たちに、莉苑は強い嫌悪感を抱いた。川崎朱音は名前のない少女Aでは決してない。そのことを、どうして理解できないのだろう」

夏川莉苑が露呈させたのは女の子が落下して死ぬという過剰に甘美な物語への嘆息だ。処女を失いママになるから落下してしがらみから解放される少女Aなどどこにもいやしない。

こうして『その日、朱音は空を飛んだ』は『女の子を殺さないために』が想定しえなかった隙を突き、女の子が殺される物語を解体していった。
というか、女が死ぬ話を女の視点からやろうとしたら男社会の論理は解体されざるをえないんだよな。どう足掻いても主客転倒するから。



……どうにも『女の子を殺さないために』がもやもやしてて語ってしまったけど初読の感想書いとかなきゃ……。

とにかくとにかくエゴの話だったみんなエゴ……。
誰のエゴが勝利したか? というよりは、誰のエゴが敗北したか? なんだよな。
一ノ瀬祐介、中澤博、川崎朱音……。
世界の中心は男ではない。しかし、朱音でもない。

しかし私も俗人なので夏川莉苑が唯一揺るがされた瞬間によろこびを覚えてしまう。時代に疎いせいで動画に自分が映りこんだと聞いて……。花びらのような何かが……。

いくつかゾッとした箇所はあって、というかホラー小説ではというくらいゾッとする。
人死にを目撃してすぐ世界は生きている人のためにあるからと優先すべきは理央だと動く夏川莉苑(そしてあとでわかるダブルミーニング……)。
純佳の章で細江愛を真似はじめた意味がわかる朱音。
「死んだあの子に口はなし」。
思った以上に朱音を見放し冷酷になっていった純佳が明かされる……。

章題が各章最後に置かれるのこええ。
真実の曲げ方が多少強引でも、純佳は、それを信じたいから信じてしまうんですね……。

しかし伏線の置き方はめちゃくちゃ上手いんだけど、回想の連続、同じ時間を別のキャラで何度もなぞり時系列が右往左往するから、キャラも朧気にしか見分けられず途中どの子がなにをしたかとかごっちゃになって混乱したな。わかってしまえばなんのことはないけど。
そのせいか朱音が愛を真似した理由がわかったときあんなに衝撃だったのに、電子で読んだから最後朱音の遺書で終わるのかと思って「あれ? こっち本音? ち、ちがうのか?」ってなってしまってこれはもっと読みこめればよかった悔やまれる……しかしミステリーは初読あまり読み込まないほうが後々の衝撃がでかいことが多いからジレンマだ。遺書は朱音の字で読みたかったな。

あとなんだろう、よくも悪くもエゴイズムが全部言語化されているから、これは、映像媒体で婉曲表現を読み取るほうがきっと満足な物語体験ができたかもしれないな、と思った。
例えば近藤理央の「呼び出しを無視したって、絶対みんなに嫌われる」とか、ここはわざわざ言語化されないほうが、近藤理央のエゴと嫌らしさが伝わる気がする。

細かなことは差し引いても面白かった。これはよい。
好みの百合ではないが最高のバランスでした。