青い月のためいき

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リヴァイにジークは殺せない

展開予想をしましょう。
こういうのは完結して結果が出てからやるのは面白くない。ということで『進撃の巨人』31巻時点の現在からお届けします。
普段展開予想なんて詮ないことはしないんですが、今回は帰納的に類推できたのでやります。はずれたら笑いましょう。

リヴァイ「俺の目的はジークを殺すことだけだ」
(『進撃の巨人』31巻/諫山創)

人類を救うために行動してきたリヴァイですが、今となってはもはや取りつかれたようにジークを殺すしか考えていません。
しかし、リヴァイはジークを殺すこと能わないでしょう。
なぜか?

進撃の巨人』は意味のある死を描かないからです。



リヴァイはエルヴィンの死に意味を与えようとしています。
しかし『進撃の巨人』は個人の死を全体の益に結びつけないよう、気をつけて気をつけて工夫を凝らしています。
これについてはいずれ別の記事で詳しく検証する予定ですが。

作品がエルヴィンの死に意味を与えるのなら、新兵を引き連れて陽動として特攻したあの時、リヴァイがきっちりジークを討ち取れば良かったのです。
エルヴィンは退場させるには惜しいキャラクターです。殺すならせめてその立場にふさわしく死出に花を持たせたい。
なのに物語はエルヴィンを人類の希望の礎になどさせませんでした。
その美しき単線的物語をあえて裏切ったのです。

であればそこに「死の無意味さ」という意味がある。
リヴァイの敗北はここで決しました。


詳しくは別記事を立てますが、『進撃の巨人』は序盤で既に個人の死への姿勢を表明しています。

「何か直接の手柄を立てたわけではなくても!! 息子の死は!! 人類の反撃の糧になったのですよね!!?」
シャーディス「もちろん――! ……イヤ…」
シャーディス「なんの成果も!! 得られませんでした!!」
(『進撃の巨人』1巻/諫山創

役にも立たないいたずらな死。
この残酷な世界で個人が成せることはあまりに小さく、命を賭しても報われない。
何の成果も上げられなかったシャーディスは、後になってこの無益な死への扇動を「英雄になって想い人に認められたかったから」と吐露し、無為さをダメ押しで強調します。

進撃の巨人』は最初から「人類のための尊い犠牲」という欺瞞とは距離を置いているのです。



ところがリヴァイは初登場シーンから既に死にゆく兵に向かって意味を付与しようとしています。

リヴァイ「お前の残した意志が俺に"力"を与える! 約束しよう俺は必ず!! 巨人を絶滅させる!!」
(『進撃の巨人』3巻/諫山創

と同時に、常に仲間の死を悼み、常に「なにが正しいかわからない」と揺れているのがリヴァイです。

仲間を想い仲間の死を背負いながら、人類救済のために個人を切り捨てる選択もできてしまう、なのにその選択を正当化することなく答えのない問いに迷い続けている。
通常のメンタルであれば到底両立できるものではありません。
いずれかは無視しなければ苦悩に引き裂かれてしまうでしょう。
なのにリヴァイは全部折り合いをつけてしまっています。

エルヴィンを死地に赴かせたときも「俺は選ぶぞ 夢を諦めて死んでくれ」とエルヴィンの目をまっすぐ見て言い放ちます。
エルヴィンを生き返らせず眠らせたときもアルミンに向かって「最終的にお前を選んだのは俺だ」と述べ一切誤魔化しません。
リヴァイはけして「あの状況では仕方なかった」「死なせることが最善だった」と自分に言い聞かせたりなどしないのです。

だからそのリヴァイが兵士の死に意味を与える瞬間に嘘はありません。
森で多数の死者を出しながら女型の巨人を捕らえたときの「後列の班が命を賭して戦ってくれたお陰で時間が稼げた」という言葉の選択には、覚悟や責任感や哀悼は含まれていても、自己正当化を許しません。

次の瞬間女型は縄抜けして包囲網を逃れ、失った命の意味は泡沫に帰します。
それが『進撃の巨人』が描く死の無意味さであり、自己正当化しないからこそ、リヴァイはあのときの彼らの死に対し二度と「彼らのお陰で」とは言えなくなります。



思えばずっとリヴァイはこの異常な世界の中で「まとも」でした。
リヴァイを育てたケニーは言いました。
「みんな何かに酔っ払ってねぇとやってらんなかったんだな」
「お前は何だ!? 英雄か!?」

リヴァイは酔ってなどいませんでした。ケニーのその問いの意味するところを受け取ることなく困惑しました。英雄になろうとなどしていないからです。
なぜ彼が欲望もなく麻痺もせず純粋に人類救済のために働けているのかはわかりません。
わからなさを問い続けるからこそ、自分が切り捨てた命の責任を取らなければならないと考えているのかもしれません。


個よりも全を取る代表がエルヴィンとピクシスです。
しかしエルヴィンは壁内人類を100年安寧に満たした王政を打倒せずにはいられなかったし、最終的には個人の夢に酔いました。
ピクシスは好物の酒に酔い、ジークの脊髄液を摂取し巨人化しました。

そうです。
ジークを囲った森の中、部下がワインによって巨人化する中で唯一難を逃れたのがリヴァイです。
紅茶を嗜むリヴァイは何にも酔っていない。
にもかかわらず恐ろしいほど正気を保っていました。その非常事態における正気は平時においての異常であると示されながら、この異常な世界で彼は正気でした。

リヴァイ(…長かった エルヴィン…… あの日の誓いをようやく果たせそうだ)
リヴァイ(お前達の死もは意味があった それをようやく証明できる)
(『進撃の巨人』28巻/諫山創

人類のために個人の命を捨てる。
選択したからにはそれに意味を与えなければならない、それこそが自分の使命であり責任である、とばかりにリヴァイは人類の命運をその手で希望に転換させようとします。
エルヴィンを死なせてしまった後は特に。
エルヴィンさえ死ななければ、もしかしたらエレンが調査兵団に背を向けた時点で仲間の死の無意味さを受け入れきっていたかもしれません。
けれどエルヴィンのことは裏切れなかった。

リヴァイにとってジークはエルヴィンの仇ではありません。
エルヴィンの死に意味を与えることができる唯一の手段であり誓いの印なのです。

しかしエルヴィンの特攻あえなくジークを逃してしまいました。
「ようやく」と言ったそばから部下が巨人化し、全員殺しました。
仲間の死に意味なんてないとリヴァイを嘲笑うように。この殺人にはなんの大義もない。


ここまでしてさえジークを殺せないのです。
むしろ殺そうとすればするほど、人類史に語り継がれぬ無意味な死体の山が積みあがってゆきます。

あの、何にも酔わなかったリヴァイが、なんの個人的欲望もなく純粋に人類を救済するために何を選択すべきか考えていたリヴァイが。
エルヴィンを自分の手で二度葬り、ジークを捕り逃すごとに仲間が無意味に散ってゆき、大怪我を負って自分が取れる選択も限られてしまえば。
この純粋救済意志たるリヴァイはこうしてもはや純粋殺意に成り果ててしまったのです。

そして死に意味を与えることを巧妙に避ける『進撃の巨人』の世界で、失った命を報わせようとすればするほど意に反してその期待は裏切られていくしかありません。
帰納的類推です。