青い月のためいき

百合とかBLとか非異性愛とかジェンダーとかを考えるオタク

NTRを考えてみる

この記事を書くにあたって主に参考にしたのは同人誌『<エロマンガの読み方>がわかる本2 特集:NTR』であるが、いくつかのNTR作品を購入して読んだ。
NTR好きの男性による語りも様々あたっての所感は、一言にNTR好きといってもどこに魅力を感じるかは人それぞれである、という当たり前の結論だった。
しかしそれで終わりにしてはNTRを取り巻く男性ジェンダーの実際は一向に整理できない。
NTR好きの男性自身が当事者研究として行った成果物を読んでみたいが大した論文も見つからないため、仕方ないのでひとまず仮説として考えてみたい。
言い訳になるが以下の論はいずれも非当事者による仮説に過ぎない。
もしもこれを読んで「全然ちがう!」と怒りを覚えたとしたらぜひとも当事者の口で語ってみてほしい。



NTRの重要なキーワードとして「敗北感」が挙げられる。
「想い人が他の男に寝取られ、そのことに興奮する」のがNTRの大まかな定義だ。
ここでは「寝取られ」と「寝取らせ」は区別する。
「寝取られ」は自分に為すすべもなく状況が変化してしまう受動態だが、「寝取らせ」は自分こそが状況をコントロールできる能動態だからだ。
またここでは読者が感情移入する先として「寝取られ男」に主眼を置くため、間男目線や寝取られる側の女目線での読み方は勘定しない。(ただしひとりの読者が複数の視点で読むことはあるだろう。複合的なうねりこそがNTRを形作るのだろうが、残念ながらそれを分析するだけの情報と力量は私にはない)
男性ジェンダーを読み解くのが目的であるため、ここで想定する読者像も男性に限定する。

前置きがくどくなった。

なぜ寝取られなければならないか

NTRの最も素朴な消費は「流されてはいけないのに快楽に抗えない」エロさである。
律する心があればあるほどそれでも快楽を求めてしまう貪欲さの純度が上がる。
そのようにNTRを楽しむ向きももちろんあろうが、ここで問題としたいのは「何故寝取る側ではなく寝取られである必要があるのか」、「何故敗北感を得なければならないのか」である。

その敗北感は男としての劣等意識から来るのではないか。これが有力な仮説1。
とすればNTRを好む男性が共通して刺激されているのは敗北感そのものよりもこの劣等意識なのではないか。これが仮説2。


男性向けエロコンテンツで強調される、恐らく最大のメッセージは「快楽による支配」ではないか(仮説3)。
それがたとえいちゃらぶものであっても、女から積極的に動く「痴女もの」であっても、最終的に女はち○こによって快楽に溺れる。
つまり男根主義の世界観の中では、ち○こはどこまでいっても女の快楽を引き起こすトリガーであり、支配権力の証から逃れえない。

この世界観における支配者としての全能な男。これに自己を同調させることができなかった男、妄想の中ですらついていけなかった男こそが、NTRの核なる消費者なのではないか。

最初から自分は快楽支配者の道をゆかないと選んだ男とはまた違う。
快楽による支配こそがエロである、と強固に学んでおり興奮するにもかかわらず、けして自分は快楽支配者にはなれないのだと感ずる男こそがNTRに惹かれてしまうんじゃないかと。

本論は以上の3つの仮説を、既に一定の信頼性があるものとして前提にすることをまず宣言しておく。



NTR作品を女性が幸せに至る物語として見るならば、寝取り男はむしろ一番の功労者である。彼により女性は"雌の悦び"、つまり原初的な女性性を自覚し、社会性によるものではなく、生物的な選択により寝取り男を選ぶ。それは寝取り男が備える原初的な男性性によって為されている。それは暴力、命令、支配といった要素によって構成される。生物によっては女性優位の場合もあるが、人間に限っていえば類人猿の時代から社会生活を経て久しく男性優位である。その原初的な男性の在り方を寝取り男は体現しているのである。
優男はNTRモノに夢を見る|Rei|note

上記のnoteはNTR性癖を非常に整理しやすくする述懐だった。
男性は支配の喜び、女性は支配される喜びこそが本能である、原初的である。
これは自明的前提として記述される。
「快楽による女の支配がエロである」と後天的に学んだものだとは認識されず、筆者にとってその原初的セックス観はヒトという生物にアプリオリに備わっている性質なのだ。

であればこそそこから得られる性的興奮は強くもなろう。
自分の性癖を「こういう価値観もある」と相対化している見方より、「絶対的にそういうものなのだ」と強固に信じ込んでいる見方のほうが没入度は高い。
たとえ妄信まではしていなくとも、上記のような認知的枠組みが体に深く根を張っており、癒着しているのだろうと推測する。

感情移入先が分離してでも快楽による支配パターンをエロに求めるのは当然である。そのパターン以上に強いエロスを感じられる手段がないからだ。

そして、だからこそ、「女を快楽によって支配できない自分は劣等である」という傷つきが深刻になる。

自傷としてのNTR


NTR作品における寝取られ男の造形にはどうやらはっきりした傾向がある。
人のよさげな風貌、真面目、誠実、質素清潔、線が細めでどこかなよなよしい、背は低めあるいは特段高くない、髪は野暮ったく、いまいち押しに弱い。
間男に報復なり女を取り戻すなりの行動に出なさそうな、意思の弱い男でなければ「寝取られてそれで終わり」にできないからだ。

対して間男は意地悪で、不誠実で、倫理に欠けており、押しが強く、またガタイがよい、ち○こがでかい、セックスのテクが優秀……いずれかあるいはすべてを満たす。

NTRの典型的構造は恐らく「真面目で優しい朴訥な青年の恋人/妻が、生殖能力の強い"オス"に後戻りできない快楽をインストールされる」であろう。
快楽による支配が行われている、しかしそこに青年は介入できない。
ちなみに「間男によって女は体のみならず心まで変容させられる」パターンは数として多くはない。*1
これは、作品内に快楽による支配さえあれば学んできたエロのパターンに合致するため、心まで侵食されようがされまいが興奮できるからだろう。
女の心情如何にまで定型が決まっていないあたり、このエロのパターンがいかに重要かがわかる。


言うまでもなく男性読者の自己イメージがこの真面目で優しい朴訥な青年である。
この男は男として劣等である。
女を快楽で繋ぎ留めおけることができなかった、他の男に女を奪われ競争に負けたのだから。


NTR世界にあるのは「真面目で優しくしてても、結局女は社会的に強い男になびいてしまうんだ」という現実認識である。
社会的経済的な強さが、エロの世界では性的能力の高さに変換される。
だから間男は寝取られ男よりテクがあってち○こがでかい。
時に間男が「マジカルチ○ポ」と揶揄されるほどに、NTRでは快楽支配の強度が強くなる。

このみじめさが他責に向かうか自己卑下に向かうかは読者の性質によるだろうが、NTRを読む限りは自責の面が強そうなことが窺えるし、それよりも世界への強固な諦めが垣間見える。
結局女は自分を選ぶしくみにはなっていないし、結局自分はヒエラルキー下位の劣等男である。
傷つきを作品を媒介して外在化することで、寝取られ男は癒されている。
自分の傷が眼前に突きつけられて初めて傷を受容できる。きっとNTR自傷なのだ。


真面目にしてれば報われる、なんてことはない。現実はこずるいヤツが勝つ。
確かに昭和の一時期には真面目に仕事していれば自動的に女を見繕われる時代があった。
でも今はそうではない、自分で行動しないといけない。
しかし男らしくない自分は恋愛市場で価値が低い事実。

NTRのストーリーは、強い男に憧れ、しかしそれを自分が体現することはできない男のその憧れを代替的に成就させている。
その底には深い自己卑下が横たわっている。

不安への解答としてのNTR

NTR自傷である。
しかしながらここまでの論で疑問は残る。
そんなにも苦しい「自傷」をし、自分の劣等性を認める作業は、NTRを嗜好する男性すべてが必要とするだろうか。
苦しければ現実直視するよりも現実逃避の傷つかない世界を夢想するのが道理ではないのか。
もちろんここでは最初に寝取り男、寝取られる女に感情移入する見方を排除したが、それでも、寝取られ男に感情移入する残る男性は、全員が全員自分ごととして寝取られる屈辱をクリティカルに食らって自傷しているのか?


恐らくそうではなさそうな感触はある。
では自傷でなければなんなのか。
一応仮説を提示しておくが、こここそ真剣な当事者研究が俟たれる。

①かつて男性性コンプレックスに悩んでいたが年齢を重ねて自分の社会的ポジションが安定するにつれ心身も安定し、今の自分はけして「男らしくない」わけではないからかつての傷に向き合うことができる。

②自分自身は男として下の下というほどではないプライドはあるが、確実に強者ではない。
「自分の延長にあるが、自分は絶対にここまで落ちないだろうと確信的安堵がある」塩梅にあるのが、女を寝取られるような自分より男らしくない男の存在である。
だから寝取られ男の屈辱も肌身で理解して親近感も得つつ、安堵と共に快楽支配の興奮を享受する。



③もやもやしている。

①②は検証待ちとして、③を詳しく説明する。

NTRを嗜好する彼らはもやもやした不安に立たされているのではないか。
草食系男子などの概念が広まり昔よりは自明的に男らしさを求められない。
男らしくないことがすぐさま恥に直結しない社会で男らしくない彼らは、自分のそのありようを愛されたいし受け入れられたい。
しかし社会(=女(という名の概念))は本当に受け入れてくれるだろうか? と不安に思っている。

冒険や名誉の副産物や戦利品としての恋愛や性愛ではない、ただ「愛されたい」という欲求を可視化することに成功しているのである。*2
https://libra.or.jp/images/gstudy22.pdf

男らしくないことを肯定されたい、受動的でいることを受け入れられたい、ただ存在を愛されたい。
この欲望がストレートに描かれるのが、上記リンクの論文『ライトノベルにおける男性主人公のキャラクター造形にみる女性性への憧憬』で明らかにされたラノベ群だろう。

だとするならばNTRはその対極にある。
男らしくなくても愛されたいけどそれは所詮ファンタジーで、現実結局愛されないんだよと、NTRは言う。
Q.社会は受け入れてくれるだろうか? そうだろうか?(不安)
A.……受け入れません。

あー、やっぱりそうなんだあ。知ってた。



真面目で誠実で優しくしていれば何もしなくても愛されると聞かされてきたような気はするし、本当はそれを信じたいけれども、所詮おためごかしなのだ。
結局女は強い男に惹かれ、自分は捨てられる。

自分が好きな女に振り向かれず「いい人」どまりで終わってしまうのはなぜか。
なぜ善良な夫であるはずの自分は勝手な女に不倫されてしまったのか。
NTRはこの疑問に明瞭な答えをくれる。
なぜなら、女は押しが強くてガツガツした強者男性に快楽支配される生き物だからだ。それが本能だからだ。


想像するその女イメージが偏っているとか、本人の自己イメージが誤りでその実全然優しくないのではとか言えることは言える。

が、重要なのは、彼らがそう思っていること自体、彼らの現実認識がそうであること自体である。
「女がそういう生き物なのであれば、ガツガツ系ではない自分が女に愛されなくても、しょうがない」
「自分からリードするなんて嫌だけど、そうしなければ女が喜ばないのは、仕方ない」
彼らが世界を諦める理由を欲した結果としてNTRが存在するのではないか。

しかも、NTRが描く、貞淑で清楚で無垢で真面目で謙虚な女ですらそういう生き物なのだ。
快楽に溺れるギャップを大きくするための貞淑であるが、「こんな清楚な女でさえも今のセックスには満足しない、快楽支配されたいメスである」と、NTRは徹底的に世界を諦めている。


誰かから一生一途に愛されたい。
そんな素朴かつ難儀な欲望と、しかしそれが叶わぬ絶望をNTRは再現する。
漠然とした不安に答えをくれる。

NTRを通じて彼らは目に見えないけれども薄々体感している世界を可視化しているのではないか。
薄々体感している、あるいは知識として知ってはいる。弱い男は愛されないと、自分はわかっているつもりでいる。

しかし突きつけられて初めて、「ああ、やっぱりね(知ってた)」と、不安が落ち着く場所を得られる。

自分が弱い男性であることも女が強い男に惹かれることも恐らくは自明の理なのだ。
その理をなぜ忘れられると思ったんだろう……とNTRは描く。

自傷でも不安でもなければ……


上記の仮説にも共通するが、先の文が一番広く言い得ているような気がするので再掲する。

快楽による支配こそがエロである、と強固に学んでおり興奮するにもかかわらず、けして自分は快楽支配者にはなれないのだと感ずる男こそがNTRに惹かれてしまうんじゃないかと。

思い込んでいるとまでは認識しなくても、快楽支配の興奮を強固に保有していることは間違いなさそうだ。

けして快楽支配者にはなれないと自己規定するタイプには、真剣に自傷を求める者から「まあ自分はああも押せ押せでがっつけはしないな」な者まで段階があるのかもしれない。
だから段階によってNTRの嗜み方が変わってくるのかもしれない。


このことを踏まえてみると、
「自分に自信がないから彼女が自分の性行為で満足できているか不安で、他の男で快楽たるものを知ってほしい」
「愛されてるか不安だから他の男とセックスしても戻ってきてほしい試し行動としてのNTR

以上の心理も理解できる。
快楽支配こそがセックスであり、女もそれを求めていると思っている男性は、自分では力及ばないとコンプレックスを抱いている。
セックスにおいて男は女に対して途方もない快楽を絶え間なく供給しなければならないとプレッシャーを受けているからだ。

強い男が女を快楽支配する「現実」を受け入れた男性が、自分以外とのセックスを女に望んで、女の(必ずしも性的パートナー以外とのセックスを望まないという)「現実」を無視したがる結果を生むのはなんとも物悲しくある。

もちろんNTRはフィクションでの嗜好であり本当に実現したい男性は少数だろうが、実現したいと願う男性の欲望にはNTR嗜好の核心が極端化して表れていると見るべきだ。


女の性規範のゆくえ

ただ、彼らはまったきに女の意思を無視して快楽支配できないコンプレックスへと突っ走っているわけではない。
そこには一定の根拠が含まれる。


「青少年の性行動全国調査報告」によれば、現代の性行動のジェンダー規範には「ダブルコンティンジェンシ―」がある。
男性は女性の意思を尊重しはじめているが、中・高校生女子の70%、大学生女子の63%は「性的リードは男性が取るべきだ」と考えているというのだ。(※2011年度調査)*3

それにより男女双方が自分から行動を起こさないため、結果性行為が発生しない。
そうこうしているうちに、積極的に押せる男が女を快楽支配してしまい、後にはひ弱な男だけが残される。「真面目にしてるだけソン」となる。
そういう実体験があるというよりは、現代のダブルコンティンジェンシーへの「なら俺はどう行動すればいいんだ」という戸惑いが、NTRによって「やっぱり結局女は押されたいし快楽に流されたいんじゃないか」と結論づけられてゆくのではないか。
戸惑うから安心を求めて答えがほしくなるのだ。
NTRが描く核の男と同様に恋愛市場に傷つけられてきた女は、「男は美女が好きでブスが嫌い」という事実をフィクションの中で再確認しようとなどしない。
確かめるまでもなく答えは自明だからだ。
(たぶんこのへんのジェンダー差はもっと詰められる)


『<エロマンガの読み方>がわかる本2 特集:NTR』でのインタビューが興味深い。

ひ(引用注:ひげなむち) 男はバカなので好きな女性の性を自分のものだと勘違いしますけど、そんなわけはなくて。女性にも自分の性があり、意志があり、それを満足させるように行動するのが普通です。そこを納得しきれてないのに、受け入れるしかないという、男の情けない敗北感が寝取られなのだろうなと思います。
(『<エロマンガの読み方>がわかる本2 特集:NTR』p50)

女にも性欲があることをNTRを通して確認したくなるとすればそれは、女の性欲が男にとって当たり前ではなく新鮮さを伴って最近「発見」されたばかりだということだろう。

管見の限り、NTRにおいて女はほとんど間男に流されてセックスに至る。
「性的リードを取ってほしい」女が、その願望を成就する形で流されて寝取られる。
ひげなむち氏は「女性にも自分の性がある」と述べるが、作品内の女性たちは男に快楽を与えられてしまう存在であり、けして自ら選択して主体的にセックスを楽しもうとはしない。
実際自分の性欲に突き動かされて浮気するキャラクターも、浮気相手は誰でもよく、そこに相手の容姿・年齢やプレイ内容やNG項目、セーファーセックスを選り好みする選択は端からない。
男がコントロールできない女の性としてここで想定されるものは、性的快楽に理性が負けるさま、ただそれのみである。
女はいつだって受動的で被支配的だ。(性的主体性を持つとして対置される女は一足飛びに「相手は誰でもいいビッチ」となる)
「男性が性的リードを取るべきだ」と考える女が未だ多いがために、そこへの諦念から始まるNTRはいつも女が流されるのではないか。
発見されたばかりの女の主体的性欲は、「快楽による支配」文脈から抜け出すことはできていない。


いかんせん60-70%というのは多すぎである。しかしこれは9年前の調査である。当時の調査対象者も現在2~30代だろう。
2017,2018年度調査もあったが役割規範の調査結果は見つけられなかった、残念。



とはいえこれから女は恐らく変化していく、かもしれない。
と思えたのは少女漫画『思い、思われ、ふり、ふられ』を読んでのことである。
思い、思われ、ふり、ふられ 1 (マーガレットコミックスDIGITAL)


運命の王子様を夢見る少女が自分の足で動くようになり、失恋とわかっていても告白し、ついには自らキスをするまで成長する。
これは読者のロールモデルになりうるだろうし、あるいは既に現在の読者に望まれている形がこうなのかもしれない。

そして恋人となった主人公と男は最後、外でいちゃいちゃしているところを近所の人に見られ噂される。
娘を案じた主人公の父親は、男に「どうしてもっと守ってくれないんだ……」と責める。
それに対しヒロインが言う。
「そういうのに男とか女とか関係ないのに理央くんだけ言われるのはおかしい! ずっとくっついてたいって思ってるのは私も同じなのに」
近所の人は「恋愛の手綱を握るのは男だから外でのいちゃいちゃには男側に責任がある」と偏見を抱いており、父親もその噂を受けて男を責める。
が、ヒロインは自分の意思が無化されていることに怒り、その後自らの意思を示すように自分からキスをするのだ。

この感覚を敷衍していけば「女も自分の意思で性欲をコントロールしてよい」へと自然に接続してゆくだろう。
女が性的リードを男にばかり負わさなくなったそのとき、NTRはどのように応答するか?
なにも変化がないのなら私の洞察が足りないということだ。



男性ジェンダー研究、NTRを扱ってくれ……との思いで書いた。
自己語りでも論文でもインタビュー調査でもめちゃくちゃ読みたい。

*1:山下,2015 藤本由香里ゼミの卒論集『「寝取られ」漫画の研究~正しい「寝取られ(NTR)」とは?~』これによれば、(作品開始時に嫌悪感を持っていたが)作品終了時に間男への嫌悪感がなくなる寝取られ女のうち、間男に好意まで抱くようになるパターンは1/3程度である。

*2:ジェンダー研究 第22号』p85/酒井美優(2020)『ライトノベルにおける男性主人公のキャラクター造形にみる女性性への憧憬』

*3:『「若者の性」白書-第7回 青少年の性行動全国調査報告』pp111-112/永田夏来