青い月のためいき

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『蒼穹のファフナーTHE BEYOND』フェストゥムと人間の融合──食事・睡眠・風呂・おやつ

THE BEYOND3話時点の記事です。
劇場上映BEYONDのネタバレがあります。

EXODUSのさいちゅう、こういう記事を書きました。
koorusuna.hatenablog.jp


簡単にまとめると、EXODUSで描かれた「人間らしさ」とは童謡『にんげんっていいな』のこと。
「ほかほかごはん」「あったかいふとんでねむる」──食事と睡眠は、生命活動に必要不可欠なもの。命。
「ポチャポチャおふろ」「おいしいおやつ」──風呂とおやつは、必要不可欠ではない余剰。平和だからこそ持てる余裕。心。
EXODUSにおける人間は「フェストゥムとはちがって、命と心を持つ者」と定義された。
フェストゥムと人間の境が曖昧になったからこそこれらを駆使して人間らしさを強調したのがEXODUSである。



BEYONDではいよいよフェストゥムと人間の融合ここに極まれりといった様相になってきました。
はたしてEXODUSで明確にした人間の定義をBEYONDにも当てはめることができるのでしょうか。
いや、できなくなりました。
上の記事を土台にしてBEYONDの食事・睡眠・風呂・おやつの演出を読み解きます。


その前に、『にんげんっていいな』の他にもうひとつ別の視点も一緒に導入します。
菓子研究家の福田里香が提唱したフード理論です。

フード理論
1.善人は、フードをおいしそうに食べる
2.正体不明者は、フードを食べない
3.悪人は、フードを粗末に扱う

フードを使った演出の法則を捉えた理論です。
あとでまた引用します。





BEYONDで食事風景は二度描かれました。
マリスが調えた「竜宮島」にて、家族団欒としての食事。
総士を奪還したLボートにて、総士の警戒を和らげる目的で開かれた食事。
皆城総士フェストゥムとマリス、竜宮島の人間とそれぞれ食を共にする意味がないわけはありません。

一度めの家族団欒はセレノア、レガート、フロロ、そしてマリスと共に。
ここまでファフナーを追ってきた観客は、フェストゥムが食事をする風景にさして驚きを感じなかったはずです。
来主操が一騎カレーを食べたHEAVEN AND EARTHはすでに10年前だからです。

セレノア「食糧は確保できた?」
レガート「ああ。食べ盛りの子どもたちがいてもしばらくもつぞ」
(『蒼穹のファフナーTHE BEYOND』2話)

しかしこれまでと決定的に異なるのは、レガートの描写。
フェストゥムが、食事を"与える"のです。

福田里香のフード理論では「動物に食べ物を与えるのは善人」の法則が提示されています。
ファフナーに適用するために変換するなら、ここで言う「動物」とは「自分とは異なる生命体」でしょう。
総士は厳密には「人間」ではないかもしれませんが、少なくともレガートは総士の暮らしてきた海神島とは異なる論理で生きてきたはずの生命体です。

そのレガートがわざわざ、総士(とフロロ)のために食糧を獲ってきて与える。
与えるという行為は他者がいなければ成り立ちませんし、元来食事を必要としないはずのフェストゥムがその他者に真に必要なものを正しく理解し与えてやる慈しみを行うなんて一昔前は考えられませんでした。
フェストゥムが「我々」というひとつの単位だったこと、人類がどう生きているか理解せずお節介で受胎能力を奪った歴史を考えれば彼らの成長は驚異的です。
そんなレガートはすくなからず善人として描かれています。


そしてマリス。
ここまでマリスの素性はわからないまま。
しかも総士(と美羽)の家族をつくるだけつくっておきながら、どうやらひとりで暮らしているらしい。
総士を奪った彼の、腹に一物抱えているようなあの声、あの視線。なにかマレスペロに匹敵するような悪巧みを考えていて総士を利用する気なのか。

しかし彼は食事をすることで腹を見せました。
よく見るとあれだけ並べられた皿をきれいに完食しています。
「善人は、フードをおいしそうに食べる」
こんなきれいな食べ方をするキャラクターが単純な「悪人」として描かれるわけはないのです。すくなくとも、総士にとっては。

マリスは帰宅時、満面の笑みで手を振るフロロを中心とした円満な日野家を振り返り目をすがめます。
悪だくみといった方向での「含み」には見えないようにできている。


対照的に総士は、この食事風景でごはんに口をつけていないんですね。
外の世界のことを知りたいのに誰も教えてくれない。世界は争いの只中にあるというのに「ここはずっと平和だもの」と断言される。
なにかを隠されている、なにかを抑え込まれている。外を知るなと言外に抑圧されている。不気味さ、不可解さ、不調和、齟齬。
違和感を覚えた総士は彼らの言葉を「飲み下せない」のです。

けれど彼らと打ち解けていないことの演出ではないでしょう。
前段であんなにもフロロ扮する乙姫と仲良く喧嘩し、「今日は父さんが帰ってくるんだ」「そっちも大事だろ」と家族への親愛を見せたのが総士なので。
敵であるはずのフェストゥムと食事を囲っていることそのものが新鮮な驚きであり、三年間仲睦まじくフェストゥムと人間生活を送っていたという意味を持つのです。


二度めの食事、Lボート。
真矢と美羽が上から出ても下手に出ても警戒を解こうとしなかった総士、剣司にメシでもどうだと言われて「誰がお前たちと食事なんか」と突っぱねたそばからお腹で返事。
古典的演出。
「あ、こいつオチたな」と一目でわかる共通言語ですね。
そもそもOPでシナジェティックスーツを着て零央と彗と一緒に船を歩いている総士。早くも竜宮島の面々と対立するようにはならないことがわかります。

さて食事ですが、一瞬アルヴィス中核メンバー全員と卓を囲んでいるように見えるのですが、実は総士と一緒に食べてるのはベラとシャオの2人だけなんですよね。

既に第一線を退き総士に親戚のおじさんのような目を向ける剣司は「総士の物語で総士と同じ位置に立たない」と示されますし、史彦・ジェレミー・イアンは島の大人たちとして総士に一線を引いています。
ベラ&シャオは「明らかに総士の物語に干渉しないとわかるけれど、作中初代総士との関わりが薄く、しかし現総士の幼少期をよく知る無害な竜宮島の一員」として最適です。
総士を懐柔するには竜宮島の誰かと食事させることが必要だし、しかし彼にまだ近づきすぎてもならないので。


史彦は食事を共にはしないけれど、食後のお茶は一緒に飲みます。
飲み物は、食べ物ほどには存在を主張しないので「腹を割る」まではいかないけれどキャラ同士になにかを共有させるには手頃なアイコンになります。(セレノアとレガートが縁側で一息つくときのお茶も、「ゆったりとした時間」「2人なりの仲間意識」なんかを共有しています)
史彦が総士と同時にお茶をテーブルに置いたのは「さて、これから対等な話の席につこう」という合図です。


そんななか総士を、睨む真矢と見つめる美羽。
それぞれに総士からの遠さ、腹の割らなさを感じさせます。

真矢はOPで紅茶を飲み微笑みました。
変性意識下にあるわけでもないのに総士に対して冷徹な態度とは裏腹に、私たちのよく知る、でありながらすこし大人びてしまったあの遠見真矢の顔をしています。
EXODUSで戦争の現実を知ってしまった真矢がそれでも日常を謳歌できていること。
島外派遣の旅ではコーヒーが「束の間の休息」を示すアイテムとして重宝されていましたが、紅茶はもっと、ティータイムと呼ばれるように悠然とした平和の時間を見せてくれます。平和を楽しむ心の余裕が真矢のなかにある。
総士への態度が不可解なものであっても、別に彼女はフェストゥムに「心」を奪われているわけでもなく戦争にまみれ「心」を失ったわけでもないただの人間だ、とOPのあの一瞬のカットで伝えてきています。

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対して美羽は飲まず食わず。
EXODUSでは3話時点でエメリーと共に食事をとっていました。
ふたりはランチプレートを食べ、エスペラントのコミュニケーションについていけない弓子はコーヒーを飲む。弓子は「同じものを食べられない/見れない」という断絶をここでは描いていました。
EXODUSで初めて「エスペラント」と名づけられ一緒に未知の希望として異質な存在だと示されつつも、早々に人間側に近いということが明かされていました。

なのに、BEYONDでは「神聖さ」を強調されています。美羽は総士に対して腹を割ることがあるのか。



「神聖さ」で言えば、ルヴィ・皆城輝夜・皆城朔夜のほうが上です。
美羽は表情豊かで叫びもするし涙も見せる一方、お三方はまだ台詞も少なく、他の人には見えていない一段高いものを見ています。
教え、導く存在。
恐らく今後とも食事・睡眠の生命活動は少なくともしばらくは描かれないものと思われます。
3人とも、生まれ変わる前の存在のときはもっと人間らしかったし、感情も涙も見せていました。輝夜・朔夜に関して言えば、織姫の過剰な「人間らしさ」演出を通り越して、ふたたび乙姫のような神秘さを取り戻したと見るべきでしょうか。

もっとも織姫は食べ物で神秘さを演出するという変化球も投げられており、まさに人とフェストゥムの中間的な存在を象っていましたが。

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(『蒼穹のファフナーEXODUS』11話)
アセロラソーダ? に添えられたさきいかワルキューレの岩戸と、そこに供えられた神に対しての供物を隠喩します。



生命活動といって忘れてはいけないのはエレメントです。
甲洋も操も食事シーンはありません。
EXODUSを振り返ると、特徴的なシーンに23話があります。

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(『蒼穹のファフナーEXODUS』23話)

楽園に集う総士・織姫・操・甲洋。口にしているものはジュースです。織姫は先ほど触れたものと同じようにアセロラだかいちごだかのソーダ
EXODUSにおける楽園は平和と異文化交流の象徴でした。
ジュースもまた栄養の摂取とは無関係なので「おやつ」です。
人とフェストゥムの融合体たちが平和に興じていると見るとこの楽園が共存の最先端だ、と思えます。
先に述べたように飲み物は食べ物までには主張が強くないので一定程度の浮世離れ感は残しつつ、「心」を持った存在を確立していると視覚的に認めることができます。

また、操はカレーも食べています。(甲洋もEXODUS24話画面外で食べてるはずだけど)

さてBEYONDでは、CCTSから放たれる前、ひとりワンテンポ遅れて目を開ける操。
EXODUS9話の総士オマージュ? 操は寝ていたのでしょうか。
とすれば彼に食事・睡眠の人間的な生命活動が今も必要になっているということです。
BEYONDでは「エレメント」としてひとつ神秘度が増しましたが、操はなんらかの形で食事・睡眠・おやつが描かれるのではないでしょうか。
(HEAVEN AND EARTHでは操の「涙」が物語的にひとつ衝撃的なアクセントとして描かれましたが、今ではもはや痛いじゃないかと泣く操に驚きもせず単に愛着しか感じられないほど、地球が故郷となったミールのコアは世俗的な存在になりました)
人間からフェストゥムの側へ行く一騎と、フェストゥムから人間に近づいてきた操の対比が顕著になったら楽しいですね。



さて、最後に肝心の一騎です。
このひとの得体のしれなさは言わずもがなです。まさに「正体不明者はフードを食べない」の体現。
憎まれた総士と会わせる時間を限定するためとはいえ活動自体も制限され、明らかにひとりだけ腹の底が見えない。いやここまで付き合ってきたファンには見えてるんですが、総士には謎の男以外の何者でもありません。
当然に食べるはずがない。食べないし光るしいや人間じゃないでしょ……感がすごい。

そして睡眠。
一騎が無限のクロッシングで活動限界を迎えることが「寝る」と表現されています。
じゃあ一騎が生命活動しているかというとどうも的外れ。
日野家のベッドから寝ぼけ眼で起き上がった総士とは明らかにちがうからです。
時間制限があり、リミットが近づくと金ぴかに光り、意識があるのに唐突にそれが訪れ、急に場から消えてしまい、瞬間移動でボレアリオスへ。移動した先でも立っており、「倒れて眠る」ようにも見えません。
一騎のやっている睡眠は人間の生命活動とはまったく異なる原理です。

一騎が竜宮島ミールの祝福を受けエレメントになったのはEXODUS24話です。
しかしこうした異質な存在になることはEXODUS全編を通して少しずつほのめかされていました。
『にんげんっていいな』でいうポチャポチャおふろもおいしいおやつも一騎は堪能していません。14話での第13キャンプにおける久々のシャワーでも、ほかの島外派遣組は全員描写されたのに一騎だけシャワー姿はありませんでした。
つまり平和を過ごしていない。ということは、一騎は「心」を持っていると明かされなかったのです。
未来にある本当の平和を獲得するために命を使うことを決めた一騎は、EXODUS8話で「平和だった頃の夢が見たい」とこぼし誰も死ななかった世界の夢を見たのを最後に、現在ある平和に身を預ける未練を断ち切りました。
今振り返ると今後心を失うことをEXODUSで既に暗示されていたのです。

そんな一騎が他者の「心」を大事にするのは悲哀でもありますが、自分の平和を代償にしてでも他者の平和を守る信念を貫いたのは、総士も、真矢もカノンも、あらゆる仲間たちも同様です。

一騎「俺はお前を信じる。お前の心は今どこにいる、ミツヒロ」
(『蒼穹のファフナーEXODUS』25話)

一騎「せめて話すことは諦めないよ。たとえ敵でも、いなくなった誰かでも、心で話すことができるのが人間だって……」
(『蒼穹のファフナーEXODUS』CDドラマ『THE FOLLOWER2』)

真壁紅音がフェストゥムに個を教えるために自らは同化されたように、一騎も「心」を大事にするがために自らの「心」を支払っているのではないでしょうか。



EXODUS全26話中21話で食事が描かれてさえ一騎の食事は10話のコーヒーと12話のキャンプ配給食の2回のみでした。
こちらもまた、話の都合上必要になった最低限の描写で済まされています。まだ人間ではある。でもEXODUS中50回以上の食事が描かれてきて肝心の主人公のそれが2回とは極端に少ないと言わざるをえません。

睡眠は3シーンあります。まだ人間だったので。
派遣される直前、ザインに乗りながら「とりあえず寝るよ」と言うマイペースさはまさに一騎といったところですし、18話カノンとお別れをした夢の中、21話温かな寝床が確保できずにザインの中で睡眠をとるなど最低限の生命機能は果たしています。


食事2回/睡眠3回/風呂0回/おやつ0回。

そんな一騎ですが、反してやたらと描かれたのは、食事をつくったり人に食料を与えるシーン。なんと6回です。

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(『蒼穹のファフナーEXODUS』3話)

先ほど「動物に食べ物を与えるのは善人」の法則を紹介しましたが、一応のところ24話で新たな命を得るまで一騎と他の人は同じ種族(?)です。
一騎が善人か悪人かなんてEXODUSまでシリーズの主人公を張ってきて今さら提示するまでもないので、ここでは他者の生命を維持するためのインフラを買って出ていると解釈します。

1話・3話・5話・13話・14話・15話。
一騎はせっせとみんなの生命維持に貢献していました。
15話で真矢が人類軍の爆撃機を撃ったとき最後の食糧を持ってきて与えたのは一騎でした。
たとえ人を殺しても真矢には生きていてほしいという一騎の願い。

EXODUSでずっと描かれてきた一騎の「みんなの命を守りたい」救済意識。
それのもうひとつの表れと言えるでしょう。
英雄として表で活躍し、インフラとして裏からも支える。救済意識で繋げばそれなりに一貫して見えます。



しかし、一度生存限界を迎えふたたび目覚めてからは、食事も睡眠も、そして食事を与える姿さえ、一度も描かれませんでした。

Lボートで総士に食事を与えて、「食べろと言われた。遠慮はしないぞ」などともりもり食べてくれるかわいい子どもの傍らでおかわりをよそうのは、堂馬食堂の舞さん。
その役割が一騎でないことにさびしさを覚えるのは、EXODUSであんなに食事を与える姿が描かれてきたのも一因でしょう。

いまのところ一騎は総士にとって妹を殺した憎しみの対象であり、得体のしれない敵です。
総士に食べ物を与えてくれるのは島の親たるセレノアやレガートであったはずで、敵から生命を保証されるなど言語道断。
剣司に向かって「誰がお前たちと食事なんか」と言いつつその食事に毒が入ってるなどとは疑わないピュアな総士ですが、さすがに一騎から与えられるとなればそんなものは食えない、と言うでしょう。
一度主人公を裏切った正体不明の金色生命体。人間らしさとはまるで無縁の存在です。


「食事を与える」ことが、EXODUSで唯一繰り返された一騎の人間らしさの砦だったわけです。
人類救済願望。
今の一騎は空を綺麗だと思うことさえなくなり*1、戦いつづけることすらも困難になっています。
また、マークザインに乗って"ちがう物になる"ことで力を振るうまではまだ人間の側でいられたのに、今や無限のクロッシング。今の一騎は"存在そのものが別物になる"ことすら受け入れていそうです。


その一騎はそのまま偽竜宮島の面々と対比されました。
家族団欒の食事。マリスの完食。
フロロに至っては風呂に入り、盆祭りではわたあめも手にしています。*2
どうやらレガートもりんご飴をご所望のようでしたし、かなり作為的に「平和」を散りばめています。

総士が一騎に会いに常夜燈へ行くために「なにか買ってくる」と嘘をついたとき、りんご飴を望んだフロロ(これは無印の乙姫をオーバーラップさせます)とレガート、申し出を断ったセレノアとマリスのちがい。これはそのまま各々の平和への馴染み具合を表しているやもしれません。
セレノアに比べてレガートは感情が定着してきたようですし、マリスはEXODUSの一騎と同じように「島が平和でありますように」と願いはしたもののやっぱり一騎と同じようにその平和は他者のためであり自分自身が心ゆくまま平和を楽しみたいようには見えないので。

レガート、フロロが学んだ感情。
もはや生命維持だけではない。その先の余裕、「心」を持ったことの証として、平和のおやつや風呂を享受しているのです。
フロロが繰り返し家事について言及するのも人間くささの強調でしょう。

フロロ「みんなで平和に暮らしてるの。感情を学んだのよ」
(『蒼穹のファフナーTHE BEYOND』2話)

前回の記事で、「EXODUSでは人間とフェストゥムに境がなくなってきたから具体的道具で厳密に人としての命と心を表現した」と言いました。
さてBEYOND。
自分で設定したホライズンすらも意図的に越境してきました。
感情を失いつつある一騎が、感情を学んだフェストゥムを対話もなく消す道理は果たして通るか。
フェストゥムと人間に、違いはもはやゼロ。
そういう境地までやってきたのです。

ファフナーが描いてきた異文化交流もいよいよ佳境です。(たぶんBEYONDではまだ大詰めではない)
私たちは人間だとかフェストゥムだとかもはやどちらでもよい、誰とも争う必要のない、誰も犠牲になることがない本当の平和の実現こそが重要なのだと、改めて認識しなおさなければなりません。

*1:HEAVEN AND EARTHで操の人間らしさとして最初に描かれた感情を一騎が失う、つまり操よりも人間から遠ざかるという倒錯。ちなみに一騎が竜宮島ミールに祝福されたら段々心を失っていくことは『THE FOLLOWER2』時点で示唆されていました

*2:わたあめを総士が横取りすることで、「総士はレガートが帰ってきた日の食事には口をつけず不和を見せたが普段はフェストゥムに無防備に腹を見せている」ことがわかります