青い月のためいき

百合とかBLとか非異性愛とかジェンダーとか社会を考えるオタク

『ちはやふる』1話2ページめがすごすぎる

ネタバレなし。

ちはやふる』は物語の導入という、あらゆる情報を簡潔にスピーディに読者を引き込む形で詰めこむべき、いちばん力の入る箇所で、非常にすぐれた技巧を駆使しています。

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(『ちはやふる』1巻/末次由紀p5)

もうここすっごい好きなんです。
ずっと好きだったんですけどやっと解体します。




1ページめ、3-4ページめと合わせて読むとこうなる。

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(『ちはやふる』1巻/末次由紀pp4-6)


見せる画を十二分に引き立てる"タメ"
引用したどおりにwebで縦に読むとわかりづらいですが、紙で横に読むと冒頭からぐっと引き込まれる描き方になっています。
流れは→ちはやふる / 1巻(立ち読み)


1ページめ。
なにやらどこかの神宮、華々しい場所でカメラまで回る大規模かるた大会であるという状況説明。クイーン戦というからには女子の王座をめぐる決定戦なのだろうと推測できます。
視点をどこにも置いていない、いわば俯瞰のページ。

2ページめ。
そこから急にカメラの焦点が主人公の心情へと定まるのがこのモノローグ。
マクロから一気にミクロ視点へと読者を誘導します。
黒塗りが3分の2以上を占める画面はぐっと引き締まり、暗く「静」を表します。
またこの黒塗りのコマが主人公の顔を挟み、圧迫感が生まれています。
3コマめとそこの文字が割合大きめなのも圧迫感を引き立てます。
また、目が描かれないので主人公がどんな表情をしているのかわかりません。

急な視点収斂、黒塗りで表される「止め」と「静」と圧迫感、心情だけはっきりわかるのに表情がわからないという想像の余地、これらが台詞と相まって流れのなかで休符となるのです。


一転、3-4ページめは札を取りきる大迫力の見開き。
決まった!!!
爽快!
・見開き
・アクション
・大音量が鳴る
・目がわかる、顔がわかる、表情がわかる
・光
・早々のタイトル回収
・「ち」で取れるかるた競技者の末恐ろしさ

"タメ"た2ページめから大転回をし一気に視界が開けます。

引きの1ページめ、凝縮の2ページめ、突き抜ける3・4ページめ。
冒頭たった4ページで場面と感情が二転三転揺さぶられる構成になっているのです。


「お願いだれも 息をしないで」に含まれる情報量
この一言に様々な情報が詰められています。

・かるたは吐息すら邪魔になるほど音が大事な競技であること
・主人公の神経が張りつめていること
・主人公の「勝ちたい」という切実さ
・そういう緊張感に包まれた場の静寂さ
・主人公の集中と場の緊張感が地続きであること


かるた競技の説明と主人公の置かれた場の状況と主人公の心情描写をいっぺんに表現してみせる手腕ときたら!
この、すくない言葉に幾重にも意味を重ねる技巧はまさに和歌。
ちはやふる』は漫画で短歌をやっている、と私はつねづね主張しているのですが、その挑戦は1巻1話冒頭からアクセル全開です。
かなちゃんなら目を輝かせて興奮するでしょう、代わりに私が興奮します。

5巻カバー折り返し作者コメント。

「競技線のなかで自由になりたい」と千早が思うように、私も「まんがのなかで自由になりたい」と思うことがあります。
限りのあるはずの紙の上に、まるで無限のような奥行きと広さをもって描かれるたくさんの世の素晴らしいまんがを読むたびに、
私が登ろうと思った山はものすごく高いなあと思わされます。
少しずつでも頑張ります。

ここにも短歌をやりたいという挑戦がうかがえます。


このモノローグに施された技巧はそれだけじゃありません。
いったい何重の掛詞をやってのけるんだ。

「お願いだれも 息をしないで」。
読んでみるとめちゃくちゃリズム感がある。まだ物語へ没入していない頭にすっと入ってきます。
音数を数えてみると「お願いだれも」「息をしないで」で七七。
そう、短歌の下の句と同じ数。

つまり──
「静」のページで下の句(お願いだれも息をしないで)、めくった「動」のページで上の句(「ち────」)とくるようになっているのです。
ちょうど競技かるたで、下の句が読まれる間は微動だにせず神経を張り、上の句が読まれるその瞬間に身体のすべての照準を合わせるときと同様に。
ちょっとした仕掛けではありますが、再読する『ちはやふる』愛読者ならこのリズムが肌でわかるはず。
ここで実際にモノローグと同じだけの音数が読手の口から読まれているのだと思うと、主人公の感覚と同期する一体感が生まれるようです。



目線の流れと五感に訴えた演出
読者の目線の流れを見てみます。

(1ページめラストのコマで強調されるカメラ・報道陣)

お願いだれも

主人公の耳

主人公の口

(目端に見える報道陣)

息をしないで

先ほど目が描かれていないことを述べましたが、読者の目線がもっともいきやすいのは登場人物の目です。
それがないことで、1コマめから3コマめまで、すとんと一直線に視線誘導できるのです。張りつめた一本軸の神経のようすが視覚的に伝わります。
"タメ"でありながらぱっと読める画面構成。
"タメ"として機能するのはモノローグでの一文が絵コマによって切断されるから。

誘導された目線上に耳があることで、このモノローグが指すのはほんの小さな物音さえも雑音なのだということがわかり、音がより純粋化されて捉えられます。
口があることで主人公の吐息すら意識されます。

これらから、主人公の感じている世界が五感をつうじて伝わります。
おまけに目端に意識される報道陣。位置的にも近く、がさごそ物音を立ててしまいそうな機材が並びます。
「お願いだれも」の指す先はこの人たちのことだろうとわかり、機材が見えることで物音が怖くなり緊張感が生まれるのです。



ところで『ちはやふる』は五感に訴える演出を多用します。

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(『ちはやふる』14巻p162)

「かるたの臨場感を伝えたい」という作者の想いが伝わります。

紙に描かれる漫画に音は付きません。
取材で読手さんの声を聞くたびに
札の払われる音を聞くたびに
その響きを込められたらなあと思います。
(『ちはやふる』16巻 カバー折り返し)


「お願いだれも」の切実な訴えには思わず読者も無意識に息をつめてしまうことでしょう。
人の呼吸音でさえ煩わしくなるほどの静寂と集中。そしてつめた息が解放されて吐き出される瞬間。
主人公と読者の体の感覚をつなぐことで臨場感を生み出しています。

たとえば13巻にもここと似たような演出法が取られています。
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(『ちはやふる』13巻p103-p104)


1話2ページも、「息」というワードで漫画のなかの音と現実の読者の肉体を連続させています。
読者の身体感覚と自然に気持ちよくつながるように設計されているのです。




分解すればするほどすごすぎるな、冒頭。
大好き。