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青い月のためいき

少女漫画とかアニメとかセクシャリティとかの考察・分析。

『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語』読解(主にまどかとほむらの想いの両義性について)

狂ったように叛逆を見ていました。
劇場公開時一度見たきりだったんですがふと見返したくなってレンタルしたら真っ逆さまに落ちた。
ついでにTV版も見返した。劇場版も見たほうがいいらしいですね。円盤買う。

もう議論し尽くされたろうけれど自分の物語体験をまとめたいので書きますつらつらと。
私の作品読解スタンスはこのへん↓で。
koorusuna.hatenablog.jp





ほむらの一番の願い

「まどかと一緒にいること」
「まどかに普通の幸せを与えること(それが「キュゥべえに騙される前のまどか」を「救う」ということ)」


ほむらの心情&行動の動線

まどかの本音を聞く
→ほむら自身が魔女だった&真相判明
→まどかをキュゥべえの支配から避ける
→卵のなかで死ぬ(人間まどかを円環と合流させないまま心中)(そうすればまどかは(ほむらの思う)「孤独」にならず、誰かのために摩耗しなくて済む、そしてほむらと一緒にいられる)
→ほむらの殻を破ろうとする魔法少女たち
「もうやめて。わたしはここで死ななきゃならないの」
→「インキュベーターの干渉を受けないまま外の世界で本当のまどかに会える!」
→支配される心配ひとまず失せる、心中作戦も無理
→3周めのまどか殺しを思い出す(細部は違うけどまどかの手の傷、制服姿のメガネほむら、銃の要素)
人間まどか引っ張りだす作戦へ路線修正
→「もうわたしは躊躇ったりしない!」ついでにインキュベーター撃滅

太字部分について。路線修正するほむらの心境

円環組のおかげでまどかがインキュベーターに支配される心配ひとまず失せることが判明し、殻が割られることで心中作戦が失敗すると判断
このまま円環の理に救済される道もあったがそれを捨てるほむら
その理由は「まどかと一緒にいたい」「まどかを救う」願い
しかし決定打はまどか殺しを思い出した?ことではないか。まどかを殺した弱いメガネほむらに銃を突きつける=罪を罰したい?
罰されるべき罪を放ったまま、今までのすべてを肯定され救済されてしまうことに耐えられなかったのでは
(この説はまどかマギカ叛逆の物語感想その9(バレ注意) 「コネクト」から迫る、叛逆の物語の真相。【11/7追記】 - Blinking Shadowに完全同意した説として記します)


赤いリボンと黄色いリボン

赤いリボンは「こんなわたしでも何かできると信じる」「こうありたい」まどか自身の象徴?
→まどかが円環の理になって自分の願いと想いを成し遂げ、赤いリボンの役割は果たされる
→よってまどかの手を離れ、別の役割を得る。ほむらに託され絆と(まどかを記憶しつづける)奇跡の象徴となる
→偽見滝原でまどかは記憶をなくしているので以前のまどかに戻る(「わたしなんかでも」と自己卑下する。「こうありたい」が達成されていないので赤いリボン)

黄色いリボンは「こうありたい」意思のないまどか。これをほむらは「本当のまどか」と呼んだ
ほむらの改変後の世界でのまどかは「派手すぎない?」と赤いリボンをやめ、「今まで通りあどけない少女である自分」を選択し黄色いリボンに
→ラスト、意思を思い出しかけ黄色いリボンがほどける
→自分の願いとまどかの意思が対立するとはっきり認識
→ほむらが赤いリボンを付け直し「あなたのほうが似合う」と涙する=まどかの意思の返還と受容+絆を反故
→今のまどかを「本当のまどか」と呼ぶのをやめ「わたしはあなたが幸せになる世界を望む」という言い回しに変える


フード演出

ケーキを囲む、ナイトメア退治後巴家でケーキと紅茶、みんなでお弁当、ほむらまどかマミベベの紅茶会、等々円満な食卓が窺える。
TVシリーズでは、

・まどかさやかマミ紅茶会で3人が打ち解ける(が、それはその後杏子やほむらと対立する布石としての囲い込み)
・さやかが魔法少女になりまどかがほむらに相談。まどかに頼られほむらは嬉しくコーヒーを飲もうとするが、まどかが契約する可能性を仄めかしたので思いとどまる。結局腹を見せることなく席を立つ
・杏子の差し出した林檎をさやかが投げ捨て険悪化、その林檎が正当な金で買われたものでないと知りさやかは杏子と決裂
・仁美がさやかにライバル宣言。食べ物が用意されるもふたりとも触れもしないまま仁美が席を立つ

とか物の見事にギスギスしてた。
杏子の差し出すお菓子をまどかが受け取ったのは唯一ほっとする和解。

だから叛逆序盤の円満ぶりが以前にはありえなかった光景として和むんだ。

そして杏子が背を向けながら投げ渡されるポテトをほむらがキャッチ。すごいツーカーである。
キャンディーも同じようにキャッチ。
しかしラスト、杏子の投げた林檎をほむらは受け取らない。
一緒にお茶したマミさんの大事なティーカップを落として割ることで、マミさんとも決別。
血に模したトマトでほむらがまみれる。

序盤に食べ物でみんなと打ち解けていたほむらが描かれたからこそ、再度孤立するほむらが端的に際立つ。
魔法少女まどか☆マギカ』はフードでギスギスした関係性を生き生きと描くのが特徴のアニメである……。





さて。両義性を持つまどかとほむらそれぞれの想いについて。

「ほむらちゃん。わたしね、あなたと友達になれて嬉しかった。あなたが魔女に襲われたとき間に合って……今でもそれが自慢なの。だから、魔法少女になって本当によかったって、そう思うんだ」
(『魔法少女まどか☆マギカ』10話。1周めのまどか)

まどかの強さ、意思、救済願望、「こんなわたしでも」役に立てると満たされる自尊心、すべてがここにある。

ほむらの髪を編むまどか

「そんな勇気わたしにはないよ」という本音と上記したまどかの意思や救済願望が絡み合っている。
「あどけない少女」であるまどかと、神にもなれる勇気を持つまどか。
どちらもまどかそのものであると観客もわかっているから一方だけを「本当のまどか」だと言うほむらに疑念を抱くわけだが、ふたつのアンビバレントなまどかの思いがこのシーンで描かれる。

口では「わたしが我慢できるわけないじゃない」と吐露し、しかし、ほむらの髪を編む=メガネほむらでいてほしい、か弱いほむらを守りたいと思う
→ほむら視点になると、ほむらの願望を満たすことを言いながらほむらの意思を封じ込めようとする行為
→だからほむらは自分の願望を選択し、守られることを拒否し髪がほどけた

赤いリボンはまどかの意思。
仮に黄色いリボンのまどかだったら「ほむらを守りたい/守れる」とは思わないから髪を編もうとはしなかっただろう。
だから、あの花畑のまどかは単純にほむらに都合のいい願望の具現ではなく、相反する思いを抱えた本物のまどかたりえる。

まどかの髪を結うほむら

ほむらは言った。
「まどかに守られるわたしじゃなくて、まどかを守るわたしになりたい」。
そのときは想像してなかったろうけど、結果的にそこには「まどかの強い意思を封じてでも」というニュアンスが込められることになった。

髪を結うのは相手の意思を封じる行為。
まどかが自身の勇気を思い出さないよう窓をリボンで縛り「ほむらの救いたいまどか」を閉じ込める行為。
改変後黄色いリボンをつけ恐らく魔法少女ではない(指輪してないよね?)まどかを見て、満足ではあっただろう。

「救いたいまどか」の「本音」を聞いたことでほむらは叛逆を決行したわけだけど、最後には円環の理になれるまどかもまたまどかの本音だと認める。
すぐに認めることができるのは、ほむらもどこかでそれがわかっていたからではないのか。
何より最初にほむらが憧れたのは魔法少女まどかなのだ。強くて意思のあるまどか。
そのまどかに近づきたかったのがほむらだった。

しかし「あどけない少女」を救うためにはその意思をどうにかして押し込め取り除くしかない。

まどかに赤いリボンを返還するのが「こうありたい」意思を持つまどかの受容であるのなら、この赤いリボンをつけたまどかは「救いたいまどか」ではなく「憧れのまどか」。
まどかがほむらの髪を編むのと同様に、アンビバレントな想いがここでぶつかりあっているのでは。
「やっぱりあなたのほうが似合うわね」と涙を浮かべるのは閉じ込めてしまったことと絆を反故にした哀愁だろうか。
ここに「髪を結われたまどか(救いたいまどか)」と「赤いリボンをつけたまどか(憧れのまどか)」が同時に成立していることへの涙も含まれてはいなかったか。


Cパート読解(妄想)

以上を踏まえED後Cパートを読み解く。完全に妄想。
円環の理が欠けた半分の世界。ほむら改変後の世界。
思い出の公園でガサッと叢のざわめきに振り返るからには、まどかが来たと思ったのでは。しかしまどかではない。
いずれまどかと敵対すると予感していたほむら。
あそこで、かの憧憬するまどかとついに真っ向衝突するかもと覚悟、もとい期待をしていたんじゃないかと。
けれどまどかは現れない。キュゥべえが疲弊するほど待ったのに。

ほむらはひとりで踊る。「孤独」なほむら。(OPでは他の4人が周囲で踊りほむらは翳っていた、この反対の孤独)
「この想いはわたしだけのもの。まどかのためだけのもの」の愛の塊であるダークオーブに口づける。寂しげに、いとおしげに。
対立するはずの、憧れの魔法少女まどかが現れないまま、孤独な愛と戯れる。
まどかを閉じ込めた満足と、ほむらの愛を受けて立って対立してくれない寂しさ。ここにも、アンビバレントな想いがある。
落ちるのは「堕ちる」でいいのか。
抱えて、救われない。寂しい、でも、それでいい。

妄想です。

そしてこのように叛逆を見てみると、一本の線が引ける。
まどかの両義性を無視し片一方だけを選んだ花畑。
まどかの両義性を受容し自分の両義性も認めた、しかしそれでも一方を通す渡り廊下。
孤独な長い時間を過ごし、そのバランスが揺らいでいるような、しかし両義性をもう受け入れている公園Cパート。
……という感じですかね。


Cパートの締めくくりは執拗な「劇終」であり、リボンで閉じられた窓。
結局叛逆はアンビバレントさを自覚しつつもほむらがひとつのエゴを選び取る物語であったと。
それが肯定された決意に、ここでまどかマギカの物語を終える潔さを見たいです。
けどこのまどかとほむらの(少なくともまどかの)想いの両義性にこそ続編の取っ掛かりがあることもまたわかる。