百合と男社会の闘争記録~なぜ百合は男に脅かされるか~
※いろいろネタバレがあります。タイトルを強調したので注意したい場合は避けてください。
近年の百合作品は「男」とどう向き合い「男」をどう処理しているか。
古来つづいてきた百合と男の微妙かつ繊細な関係を踏まえ、どのように古典的・画一的でない描写を編みだしているか。
ざっくり背景を見つつ、現在百合という文化が捌こうとしている「男」と「社会」について考察していきます。
(『捏造トラップ-NTR-』コダマナオコ 2巻p112)
百合オタの定番ネタ、「百合に挟まりたい」と口にする男への怒りと反発。
皆さん例の診断の流行を受けて「でも百合に挟まりたいとか言うやつ実際にいるの?」とか言われてますけど「俺を百合に挟まないのは男性差別」等とちょっとよくわからないことを言い始めるオタクは実際に存在しますからね。この戦争体験は平和な世にあっても語り継いでいきたい。
— いとう (@Ito_SIPD) 2016年12月13日
日々沸き上がる百合界隈の炎上案件は「最終的に男と付き合う女同士の関係は百合と言えるか?」「男の娘×女は百合か?」主に男の話題です。
なぜこんなにも百合好きは男を恐怖するか?
個別に見た表層としては「百合を見ていたはずなのに男が乱入してきたトラウマから」等挙げられると思います。
しかしこの根底にあるのは「男の乱入が許されていること」それ自体です。
見るべき本質は「なぜ、百合には男の乱入が許されてきたのか?」なのです。*1
男二人のBL関係に第三者の女が乱入することはまったく許されていません。
なぜ、百合には許されてきたのか。
結論から言うと「ミソジニーと異性愛規範が悪魔合体したテーゼ」が強固に存在し社会権力によって肯定されているからです。
このテーゼ、具体的には例えば「女は男に見られ消費される客体としてのみ存在する」「女同士の関係は脆く儚い」「女同士の関係は男女関係より軽くて劣る」「女は男に挿入されることで純潔を失い大人になる」「思春期の女同士の恋愛は勘違いの擬似的一過性」……等々、があります。
つまり、「女は男に性的に消費されることで大人になるべきで、女同士の親密な関係は男とつがう前の閉塞空間のみに存在する紛い物である」というテーゼです。
背景にあるのは女が自立不可能で学生時代を過ぎれば強制的に男と結婚させられていた近代日本社会であり、現代にいたってもこの構造が風化しきれないほどに男女賃金・労働環境格差が女の自立を阻んでいます。
こういった支配構造が社会に存在するがために、百合には男の乱入が許されてきました。「女は最終的に男の手の内に納まるべきだろう」「女同士のセックスでは男の挿入がないから"物足りない"だろう」と男が割って入ってきました。
古くは少女小説現在は漫画アニメを拠点とする"百合"という現象は、女同士の関係性を描くジャンルとして、権力の作り出すそれら規範・テーゼと向き合わざるをえなかったのです。
結果、百合を語り創作する上で「脅威としての男」の存在は欠かせなくなりました。
以下に現在における「百合」たちの戦いと「男」との関わりを記します。
*1:注意してほしいのは「なぜ男が乱入してくるか」ではないことです。エロコンテンツで女二人の間に男が入りこむ理由は色々あるのでしょう、以前AVにおける実用性から見た考察なんかを聞いたこともあります