青い月のためいき

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【新居昭乃歌詞分析2016】コラム:『Wings of Blue』の中の昭乃さんらしさ

 このタイトル、逆説的に「『Wings of Blue』は昭乃さんらしくない」と言っているように見えますね。言っています。
 ではなぜ昭乃さんらしくないのでしょうか?
 まずこれを考えてみます。


 ライナーノートを見るとこれは昭乃さんいわく「アキノ史上初の応援歌」とあります。
 応援歌。いかにも昭乃さんらしくありません。
 なぜなら昭乃さんはずっと、頑張るエネルギーに燃える陽の気をまとった人ではなく、ただ淋しく今日を生き延びようとする静かな陰の気をまとった人のことを眼差してきたからです。しかも頑張ってくれという声かけによってではなく、何も言わずに寄り添うことで。

 もうひとつ昭乃さんらしくないことがあります。明確なゴールの設定です。
 ゴールを設定するのは、軸が整理されて物語全体がわかりやすくなり活性化し、そのためにこれも陽の気を獲得するということです。例えば、敵を倒すというゴールを達成し世界が平和になる、というような単純な世界観。
 昭乃さんの世界はそのような陽の明確さに焦点を当てていませんでした。ゴールなんかない、あるのはどこへ行ったらいいかもわからない迷路のような複雑な精神世界です。
 ところがこの曲は昭乃ワールドを破り、陽の応援歌を歌ったのです。

 さて、では『Wings of Blue』のどこに昭乃さんらしさが存在するというのでしょうか?
 ──今、「どこへ行ったらいいかもわからない」そう言いました。

 誰もいない場所 走り続ける 輝く(you're fighting with yourself)ゴールへ(you're caring out your best)続く果てしないフィールド
(『Wings of Blue』より)

「field」、広々とした野原。ゴールへの道は明確な一本道ではありません。フィールドです。
 目の前にあるのはゴールがどこにあるか定かでない、だだっ広い野原なのです。そしてそこには誰もいない。自分しかいない。
 つまり「君」は孤独に耐えてどこへ行くかもわからない迷路を走り続けなければなりません。しかも誰もいなくて何もないので、自分を見つめて自分と戦うしかないのです。
 そんな痛切な孤独こそ昭乃さんらしいといえないでしょうか。

「戦う」という言葉もまた、その後明確な勝敗を決することになるため昭乃さんのイメージにはそぐいません。
 しかし戦う相手は自分。アスリートです。
 勝敗を決するためではない、終わりも見えない相手もいない応酬という意味では例えば『ガレキの楽園』における形のないものとの戦いとなんら変わりがないのです。
 そこにはまさしく昭乃さんらしい複雑な精神世界が描かれます。

 またそれを引き立てるのは、昭乃ワールド最頻出ワードである空です。
 孤独を包み込んでそっと寄り添ってくれる空の存在はお馴染みもお馴染みです。いつものように温かく「君」を見守ってくれます。

 夢は(彼方から)光る(明日へ)涙は(愛した)あの空へ
(『Wings of Blue』より)

 そして孤独な戦いで流した涙はその空の愛によって救済されていくのです。
 昭乃さんの世界においてなんらかの存在が空へと導かれる描写は、『少年の羽』『きれいな感情』『サリーのビー玉』等に見られるように、母性的な愛によって包み込まれる形での救済を意味します。
 フィールドに響いている「祈りの歌声」は愛による切々としたエールであり、ゴールに向かって飽くなき戦いに奮闘していた孤独はやがて空に迎え入れられるのです。

 また前述した「矛盾語句の組み合わせを好む」昭乃さんの性質が『Wings of Blue』にも見られます。

 青く灯る胸の火
(『Wings of Blue』より)

 青い炎とは確かに高温を示す化学反応ですが、恐らくそういう意味ではないでしょう。静かな闘志が孤独な戦いのつらさの裏に隠れているという比喩表現だと思われます。
 青い火、青い翼、青い空。躍動的な陽を全面に押し出すこの歌は瑞々しく清々しい寒色で彩られています。

 これを昭乃さんらしいと言わずしてなんと言えるでしょうか。こういった「昭乃さんらしくない曲」にこそ「昭乃さんらしさ」を認めると、実は昭乃さんの本質が見えてくるのです。