【新居昭乃歌詞分析2016】コラム:『Orange Noël』読解
昭乃さんは「森」の一面を庇護と救済を約束する母なる閉塞空間と捉えていることは明かしました。
例えばそれは“ソラノスフィア”の概念とは違います。ソラノスフィアは心配も不安もない安息の地でありながら自由に行き来できる、外界に対して開けている場所のことです。それは昭乃さんの「内向きかつ前向き」な性質として実にわかりやすい概念でしょう。
それと対立する概念がここで言う、外界から完全に塞がれてしまった森です。
そう考えるとこの曲はかなり閉塞的なテーマを持ちます。昭乃さんによると森の中ではぐれてしまった男女を歌った曲とのこと。
行き違いになってしまった男女は、森ではぐれた子供のよう。
(曲解説より)
男女はそう、子供なのです。森という母に囲われた子供。
救うのよ 私たちの希望を 残酷で優しい森の中で
(『Orange Noël』より)
昭乃さんは基本的に母性を温かく懐深く包み込んでくれる肯定的なものとして描写しますが、こと森となるとその閉塞を強調するためか否定的な面を持ち出すようになります。すなわち、子供をけして離そうとはせず飲み込んでしまう力を森で隠喩しているのです。
それがこの「残酷で優しい」の意味です。
中にいる分には優しいけれど内向きのみにしか指向しえない残酷さ。
しかしその残酷な森の中で希望を救うと『Orange Noël』は歌います。
希望を救う方法がそれしかないからです。昭乃さんはこのときまだ閉塞からの解放を歌えませんでした。
あなたの口にオレンジ それはばかげたまじないのよう
(『Orange Noël』より)
「彼」がオレンジを口に含むのは「彼女」のおまじないです。
閉じ籠ることしかできない彼らがそれでもはぐれたその手を再度つなぐのなら、「彼女」のテリトリーである森の中で、「彼」が森の食べ物を口に含むことで森の住人にならなければいけないのです。
「彼女」がそれを「ばかげたまじないのよう」と言ったのは、「彼女」の部屋は森に似ているだけで本当の森ではないからです。
彼らは森の子供たちであり、しかし単にすれ違った男女です。
森に見立てた「彼女」の現実の部屋には浮き世じみたラジオが置いてあるのです。オレンジを食べる儀式は現実では形式的 な意味しか持ちません。
もう一度出逢えるおまじないは?それとも動かずにじっと待っている方がいいのでしょうか?
(曲解説より)
そしてここにもまた昭乃さんの「前向き」な側面が垣間見えます。
今はまだ内にこもることしかできないけれど、きっとそれ以外の方法もあるはず。
閉塞でない、ゆるやかにふたりを飲み込む残酷な森でない空間で、いつか希望を救う場所があるはずなのです。叶わず探しているけれど。