青い月のためいき

百合とかBLとか非異性愛とかジェンダーとかを考えるオタク

『ぼくの地球を守って』前世の分離と受容

ネタバレあり。
とうとう『ぼくの地球を守って』通称ぼく地球(ぼくたま)で書きたいことができたよ。
特に目新しいことはないですが。ぼく地球続編は無視します。


koorusuna.hatenablog.jp

★まとめ

前世ものとは「生を越えてつづく自己に懐疑を抱く転生作品」。
よって基本的には以下の要素が当てはまる。
・運命への抵抗
・前世と現世の分離
・過去からつづく今を否定
・前世と現世の自我の非統合

「運命」と「私」が対立し、「運命」よりも現世固有の「私」が大事にされるため。

より少女漫画的な作品の場合、以下の構成要素を持ちうる。
・清濁併せた運命の受容
・前世と現世が地続き
・過去からつづく今の受容
・前世と現世の自我の統合

「前世もの」の特性が運命を疑わせるが、それでいてなお抵抗せずに運命を受け入れることで事態に対処する。過去からつづく今を受け入れ自我を統合することができる。


上の記事で少女漫画的な作品と非少女漫画的な作品では前世の扱い方が異なると分析しました。

ただ共通する点として、少女漫画であっても前世ものって過去が現世に持ち込まれることには抗うのです。
「過去からつづく今を懐疑する」前世ものの定義上今を生きる私が大切だから。

そのなかで『ぼくの地球を守って』はどちらに位置づけられるでしょうか。



★『ぼく地球』で前世と現世の自我は分離する


少女漫画では前世の人格と現世の人格は統合するんですね。
今の自分と過去の自分を切り分けない。過去も今もすべて私。

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(『妖しのセレス渡瀬悠宇/14巻p125)


でも『ぼく地球』は例外的に「前世と現世がひとつになる」ことを否定します。

亜梨子は前世人格のことを「木蓮さん」と呼び、徹底して他者として扱っています。
彼女は現在が過去に呑み込まれることをなにより恐れ、そして覚醒後は人格が変わらなかったことに安堵しました。

答えを見つけた 今やっと 木蓮さんが微笑ってるような気がする “それでいいのよ”って──────

(『ぼくの地球を守って日渡早紀 21巻p24)

だからこそラスト亜梨子は「爆破して!」と叫ぶのです。
月基地をコントロールして木蓮の黒聖歌を使って地球の戦争をなくそうとするのは紫苑。
過去の記憶に呑み込まれることを恐れ、月基地の装置を爆破したいと願ったのは輪。
そういうふうに明確に人格を分け、現世を大事にして過去に打ち克とうとするのが亜梨子なんですね。
「前世を持ち越すのは現世に対して不誠実ではないか」とつねに懐疑していたのが彼女だから。

少女漫画的な作品に見られる「前世と現世の自我の融合」は、『ぼく地球』では採用されなかったというわけです。


★自我の分離以外は過去を受容する

ところが。『ぼく地球』もやっぱり少女漫画なんですよね。
他の要素「清濁併せた運命の受容」「前世と現世が地続き」「過去からつづく今の受容」を検証してみます。

清濁併せた運命の受容

このテーマについては木蓮の父ロジオンが象徴的です。

ロジオン「だからねモクレン 野菜はモクレンの中で死なないでモクレンと一緒に生きてるんだ」
「牛さんやブタさんだってトリさんだって 悲鳴をあげるけど 運命自体は受け容れる 運命はそれぞれ違ってるけど皆受け容れる 食べられなかった分は土に還る みんなみんな一緒に生きてるってわかってる」
「なのにね 人間だけは違うんだ 運命を受け容れようとしないのは人間だけなんだ」

(『ぼくの地球を守って日渡早紀 17巻p24)

死ぬことをも天命として受け入れるのが生き物としてのことわりだとする。

ロジオンが楽園から逃亡しているさなかにもかかわらず「気持ちは歌に 歌は空気に 愛は光に」と歌の極意を教える理由を、幼い木蓮は理解できませんでした。
でもきっと彼はキチェスとしての運命をわかっていて受け入れたからそうしたのではないかと思うのです。

キチェを捨てたのは業を背負う覚悟でも、キチェスである娘を拐って隠れるのは運命からの逃避でした。
逃避はロジオンの理念と矛盾しています。
植物のいない北の果てにたたずんだロジオンは徐々にそれに気づいていったのではないでしょうか。

短命な男性キチェスとしていつまでも逃げていられないと踏んで、木蓮を楽園に戻す運命を受け入れて死んでいったように思えます。


だから結局は木蓮も運命を受け入れたのです。
歌って泣くだけの忌まわしき運命を背負うキチェ。
これを捨てたいと願った木蓮も、ロジオンから教わった運命の理を忠実に守って、自死を選ぶことなく、最長老の予知どおりにキチェスのままKKに降りました。
キチェを捨てたいと絶望し、紫苑を殺さない自分を「確実に来世で会いたいからと本気で実行できる浅ましい女」と逡巡したにもかかわらず。

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(『ぼくの地球を守って日渡早紀20巻pp26-27)


春彦が辿った罪の受容過程は本作のテーマとしてわかりやすいと思います。少女漫画でなければ彼は「なぜ前世の罪を現世の人格が償わねばならないのか」と突っぱねる結論に達していたにちがいありません。

秋海堂が紫苑を月に9年置き去りにした罪を、春彦は最初否認しました。違うあれは夢だと。
次にしたのはあまりに重い罪から逃れるための自殺未遂です。

しかし生還した彼は田村さんに勇気づけられ生きて償おうとします。
蓮明寺へ駆けつけ輪と戦い、京都で亜梨子迅八一成に罪の告白と懺悔をし、亜梨子を覚醒させ紫苑の孤独を伝える。
過去に囚われた輪を救うことが、現世で春彦ができる贖罪でした。
前世の罪を前世だからと無視せずすべて背負う覚悟。それが清濁併せた運命の受容です。

そんな過去の受容は輪でも一成でも大介でも田村でも、あらゆるキャラクターで描かれました。

前世と現世が地続き

未来を懐かしむ、すなわち前世と現世が連続しているということ。
今わの際に悟った木蓮が「みんな未来へ還っていくんだわ 貴方がこんなに懐かしいのもきっと未来でまた出逢えるからなんだわ」と言えるのも前世と現世が切り離されていないからです。

過去からつづく今の受容

そんなわけで、現世のルーツが前世にあることをも受け入れるのが『ぼく地球』です。

前世知り合いだった人が周囲に居るのは特別なことじゃないんだ
(『ぼくの地球を守って日渡早紀17巻p167)

したがって、過去と現在がまざりあうはからいがなされることも稀にあります。

木蓮が最後の奇跡の力で、未来に生きる紫苑の生まれ変わり輪を救ったり。
紫苑がラズロとキャーを失った家で出会ったサージャリムの歌声が輪を見舞いに来た亜梨子とリンクしたり。

過去を否定するならこんな演出はできません。



以上のように『ぼくの地球を守って』は基本的には少女漫画の文脈が色濃い前世ものだと言えるでしょう。




★月基地を爆破できなかったこと

再度クライマックスに立ち戻りましょう。
亜梨子が月基地爆破を願ったのは輪に過去を振り切ってほしいからでした。
月基地があれば輪は惑わされる。過去に現在が侵食される。そんなことはあってはならない。過去より今が優先されるため、月基地(=前世)は抹消されようとしました。

しかし。
結果的に自動爆破システムは作動しませんでした。木蓮が歌う姿の自動立体投影装置によって植物が基地に蔓延っているから。

これが意味するのは「過去は消せない」ということ。

無事に月基地(=過去)を爆破できたとして、輪は一時安堵したでしょうが、果たして過去を乗り越えた実感を得られたでしょうか。遠い月の片隅を仰いで、爆破音も聞こえないまま。
爆破が失敗に終わったことで急に過去が輪郭を伴ってせりあがってきたといえます。前世が現世に侵食する。過去を乗り越えることと過去を消し断ち切ることはイコールではない。

運命すべてに抵抗し過去と現在を厳密に切り分ける作品ではないからこそ、月基地は木蓮を擁して存在しつづけるのです。



亜梨子と輪が結ばれたのも運命を受容したからでしょう。
ふたりの恋愛成就は木蓮と紫苑の形を完全に切り捨てたものではけしてありません。
輪の感情は覚醒後明らかに近所のお姉さんへの初恋を越えてますから、木蓮じゃなく亜梨子が好きとはいえ、紫苑として覚醒したからこその想いと言えます。
亜梨子も輪の大人びた顔にドキッとしたり、輪が紫苑として策を弄してるのを見て他の女に嫉妬したりと、輪が紫苑の記憶を思い出したから恋愛的に惚れていくわけです。

だから「前世の恋人と結ばれるなんてロマンチックだけどあたしに失礼」とまで言ったにもかかわらず、亜梨子は「前世の人が身近にいるってふしぎなことじゃない」と過去を受け入れたので、輪を好きになれたのです。

過去は消せず、完全に切り分けることは端から無理で、思い出してしまえば不可逆にそこから積み重ねるしかない。
『ぼく地球』もまた「運命の懐疑へと迂回しつつも最終的に受容する」少女漫画前世ものの構造を押さえているからそういう描写になります。







ぼくの地球を守って』は、自我を統合せず分離しながらも現世のルーツ、由来、運命としての前世を受容する少女漫画前世ものだということです。
前世人格が自分の内部で融合するのではなく最後には大気として分離して他者化するのが他の少女漫画と異なる点。

ただし、完全に分裂するのでもないという非常に微妙なところをたゆたうのがぼく地球らしさなんですね。

輪はもう思い出す前の生意気な7歳児には戻れないし、ラストできれいさっぱり忘れ去るといった措置が取られることもない。
迅八も「過去は過去、今は今」という認識を持ちながら、木蓮が玉蘭を拒絶した記憶の前には落ち込むし、亜梨子と木蓮をはっきり切り分けた描写があるとはいえない。*1
一成も槐時代の想いを拒否したり忘れたりするわけではなく、桜に指摘されて思い出した上で、受け入れるのです。

前世の記憶が甦ったあとは不可逆が徹底されています。

最終話で亜梨子の額のキチェが消えたり現れたりするようになったのは本作らしい結論です。
完全には融合しないし、木蓮は亜梨子と別人として分離できる。
けれど、木蓮が亜梨子の中にいることはけして不自然な状態ではないのです。
過去があってこそ私がいるのですから。

*1:続編は無視すると言いましたが、30にもなってまだ亜梨子が好きというのも……現世だけでは無理がある