青い月のためいき

少女漫画とかアニメとかセクシャリティとかの考察・分析。

「百合=恋愛のみ」じゃないって何度言ったらわかるんだ

※『リズと青い鳥』『兄の嫁と暮らしています。』のネタバレがあります

リズと青い鳥』を見たでしょうか。
あの映画では羨望憧憬好意嫉妬羞恥尊大尊敬哀切依存刷り込み見下し独占欲自意識焦燥陶酔幸福寂寥絶望希望鮮烈支配傲慢信頼安心純心拘泥包容愛、その他様々な女と女の感情が取り交わされています。
これをあなたは「百合」と呼ぶでしょうか。
それとも「百合ではない、もっと別のなにかである」と言いますか。


私は百合と呼びます、ていうか『リズ』でさえ百合ではないと言うなんて思いもつかなかった。

タイトルで煽ってみましたが私の言いたいことはそれだけです。
百合は恋愛感情のみではなく女と女の間に発生するプリミティブな感情すべてを包含する寛容かつ広大なジャンルであること。



この記事で私は「あなたは百合を恋愛のみだと言うかもしれないが私はそれだけではないと言う、わかりあえないねさようなら」をしたいわけではありません。
「あなたにも百合=恋愛のみだと言ってほしくない」のです。その理由を説明します。


その前にまず確認しておかなければならないのが、なぜ人は「百合じゃなくてもっと別物」と言いたがるのか、そしてなぜ「百合=恋愛のみ」と置きたがるのかです。


「百合じゃない」と言いたがる理由
まず「百合じゃなくて別の感情」への単純な解としては、恋愛感情と他の感情を区別しておきたいから。
ややこしいのです。恋愛感情をほかの情熱的感情と区別したいと欲する人にとって。

恋愛至上主義な社会における「恋愛感情」というのは、良くも悪くも特別視されています。
「恋愛感情」は他の感情の上位概念であり、かつ他の感情を追いやる性質をしばしば持ち合わせます。
恋をしたら感情すべてが恋愛に由来することになり、はじめは自分の優越感を満足させるために支配欲があったはずなのに、いつしか相手が好きすぎるからつい支配したくなるのだと変換されてしまう。

「恋愛感情」はそういう便利アイテムゆえに、繊細で複雑な感情を表現したい場合には難しい。
安易で陳腐な結論と受け取られてしまう可能性が高い。

百合=恋愛感情と捉えればこそ、単純でない感情を前にしたときに、恋愛感情で覆われてしまう危機意識から「百合じゃない」とついて出るのでしょう。


では次になぜ「百合=恋愛感情のみ」と置きたがるのか。
これは推測なのでほかの仮説や検証が必要だと思うのですが、おそらく「異性同士の特別な関係=恋愛」が強固にありすぎていることが根元的な原因ではないでしょうか。

BL文化の興隆により「GL」という語が発明され、翻って異性愛が対比されました。そこで並列になっているのは異性愛、男性同性愛、女性同性愛。
異性同士は何はなくとも即恋愛と認識されるため、異性/BL/百合と並べたときに「百合」が恋愛のみを指すと想像するのも無理からぬことでしょう。*1


似たことのように見えますがもうひとつ、百合=恋愛感情と呼ばれる理由のひとつには、「女同士の恋愛が可視化されるようになったから」もあると思うのです。
というのも女と女が惹かれあうことについてはもうずっと、あるいは今も、「思春期一過性なので本当の恋ではない」と言われつづけてきているからです。

従来の家父長制下で、女は男の所有物でした。女は男のために存在し男に依存しなければ生きていけませんでした。
そこには男の介在しない女と女のつながりはありませんでした。
このへんの話は以前別記事を立てているので割愛します。

koorusuna.hatenablog.jp


女同士が本当の恋でないのなら、百合=恋愛感情の図式は成り立ちません。
レズビアンの存在が認識され思春期一過性ではない女同士の恋愛イメージが確立し共有されてきたからこそ百合は恋愛たりうるのです。
「恋愛じゃない」と言いたくなるのは、「恋愛が女同士にも成立しうる」ことをもはや自明のものとして知っているからこそなのです。


このように喜ばしく思える面もそれはそれであります。
しかしそれでも私は、百合とは恋愛のみを表すわけじゃねえんだと主張しなければならないのです。



百合は恋愛だけじゃない
なぜ「百合」を恋愛のみの用語にしてはいけないか。
結論を言えば「百合」を「恋愛」へと隔離してしまうと、あらゆる女同士の関係の豊かさが不可視化し、ないことにされてしまうからです。
もっと言うなら、この社会が女同士の関係の豊かさを無化するところだったからです。

女はつねに分断されつづけてきました。
専業主婦と職業婦人、性労働従事者と一般労働者、白人と黒人。
女の敵は女」「女の醜い争い」「泥棒猫、キャットファイト」「女は陰湿」「女が女を嫌う」「女は怖い」「女子の友情はもろい」……。

こうした分断の数々によって、女たちはけして交わることがないと色眼鏡をかけて眼差されてきました。

女はつねに争っている、そしてその理由はしばしば男関係である。


もし『リズと青い鳥』が発表されたのが2018年ではなかったらどうでしょうか。
女と女の豊かさに未だ気づかぬ時代だったら。

希美の感情として前面に押し出されたのは嫉妬だけだろうし、みぞれに音大を奨める教師は男だったしなんなら希美はそいつを好きだった。

そんな安直な駄作に堕していたでしょう。
そもそもみぞれの感情が描かれることすらない。女に惹かれる女など存在を認められていないのだから。



嫉妬、見下し、傲慢と陶酔。
今に至るまでそれらは女の分断の証でした。ほら見ろ、女は女と争いあうしかできない醜い動物なのだ。

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(『リズと青い鳥』)

そんな感情を百合は奪取しました。
醜い感情にすら「百合」と名伏すことで女と女の関係を冷淡でなく肯定的に捉え直すことができると証明しました。
醜いがしかし安直でない複雑な感情のやりとりが行われていることが、百合によって見いだせるのです。


(『エビスさんとホテイさん』/きづきあきら+サトウナンキ)

百合はいわば虫眼鏡です。
小さくぼやけたままでは対象を見ても虫だ(=女はこわい)としかわからない。間に「百合(を積極的に見いだす試み)」を通すことで固有の感情の輪郭が見えてきます。
「百合」は、「女の敵は女」という言葉で片付けられてきた女同士の関係を見つめ直し掬いあげる機能を持っているのです。

もしも「百合」が恋愛しか表さなくなってしまったら、これら歪な形の感情が再度見えなくなってしまう可能性があります。


(『好きになるなんてありえない』/みかん氏/『Avalon~bitter~』p32)

女と女の関係が成立するだけで百合と呼ばれるのは、そもそも女と女の間になんの関係も成立してこないと見なされていた歴史が関係しているとも見ることもできます。
ベクデルテスト*2なんてものが発明されるくらいなので。


かように「百合」という機能が掬い上げるいちばんの関係は「醜い感情があるけれども同時に矛盾した焦がれる執着も発生する」愛憎劇ですが、それだけではありません。
女と女の関係を無化する(してきた)社会では、関係が成立すると積極的に認めていくことに意味があります。
レズビアンでなくても、恋愛感情であってもなくても、女と女の間にはなんらかの醜いだけでない感情が発生しうる」と認知されるのは歴史的に目新しいことです。
「百合」という虫眼鏡が、かつて小さすぎて見えなかったものを発見して、女の関係はもっと豊かなのだと訴えているのです。


(『兄の嫁と暮らしています。』4巻p124/くずしろ)




取りこぼしたもの
私がいちばん萎えるのは百合を恋愛に限定することですが、逆に百合=恋愛未満の淡い関係とする狭い見方もあってこちらもかなりムカつきますね。
そっちはレズを揺らがない永久の属性(ゆえに安定してつまらない)、百合を男社会に吸収される前の思春期一過性で儚い(ゆえにドラマ性がある)ものと捉えているので何重にもクソ。儚さに反抗する現在の百合の潮流に置いてかれるな。


「百合」とは……。

「これは百合ではないもっと別のなにかである」についてほかに、「単なる"百合"を越えた上質な作品である」と褒め言葉のニュアンスで使用される場合もあり、言うまでもなくうんざりです。
これはマイナージャンルの宿命なんだろうな。間違いなく○○の文化から生まれてきた作品を指して「○○を越えた」と○○を貶める醜悪さにいつまで無自覚でいるのでしょうか。
「これは百合には収まらない、普遍的な恋愛である」という物言いもありますが、同じことで、百合をジャンルとしてリスペクトしていれば絶対に出てこない言葉です。
マイノリティの属性を捨象して一般化するのはマイノリティの存在を透明化する暴力ですね。

*1:BL文化もそれはそれで「BL」の扱いに悩んでいるところはあり、では異性愛ジャンルはどうなんだろう、かかわりがすくないのでわからない……

*2:フィクションにおけるジェンダー描写チェックの一指標。(1)二人以上の女が登場するか(2)女性同士に会話があるか(3)その会話は男に関すること以外の話題か