青い月のためいき

少女漫画とかアニメとかセクシャリティとかの考察・分析。

恋愛シグナルを発する演出の脱恋愛化を図る百合

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(『結城友奈は勇者である-鷲尾須美の章-』5話)

なんか地味~~に『結城友奈は勇者である-鷲尾須美の章-』のこのカットがグッときたんですよね。

だってご覧よ。
王道じゃないですか。
お祭り、浴衣、穴場から仰ぐ花火、微妙に近いふたりの距離、そして、そっと手を取り合う。

何万回少女漫画で繰り返されたよ。
もはやベタすぎて少女漫画でもさすがにもっとひねるわ。


おわかりでしょうか。
この
・花火を背景に
・すこしの無言の時間が流れ
・浴衣のふたりが
・どんな表情をしているかわからないまま手のアップを映され
・そっと手をつなぐ
演出の意味が。


そうですね。恋愛です。
男女ならまず間違いなくここでこいつらは両想いを確認しあったと見ていい。次回からはナチュラルに付き合ってることを前提に話が進んでいくでしょう。


しかしながら女の子たちです。
台詞を確認しましょう。

園子「私、ふたりと友達になれてよかった」
須美「……私も」

(『結城友奈は勇者である-鷲尾須美の章-』5話)


誰も「恋愛」として扱わない。
本人たちも、視聴者も、制作スタッフも。

これを当然と言ってはなりません。
だってしっかり「恋愛」的なシグナルを内包する演出がされているわけですから。


参考に『響け!ユーフォニアム』を見てみます。

同じく、浴衣で、花火大会に来た女の子ふたりが花火を仰ぎながら手をつなぎます。

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(『響け!ユーフォニアム2』1話)

全然違う。

ユーフォニアム』では綺麗な花火に感動して思わず寄り添ったふたりの気持ちに同調して手が繋がれます。
ちょうどふたりの間めがけてトラックアップで撮られる画面はふたりの心情が同じ揺れと高まりを描いていることを示し、メインにクローズアップされるのは手ではなくふたつの笑顔です。
これが表す意味としては、ふたりが互いに互いの感情を知っていてなおかつそのことも当然に了解しあって同じ感情を抱いている状態ということになります。

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(『結城友奈は勇者である-鷲尾須美の章-』5話)

他方『わすゆ』はその前のカットから後ろ姿を映し、表情が隠されています。
声と会話と後ろ姿と花火で良い雰囲気を作り出し、並んだふたつの手のカットに移ってから鷲尾須美が乃木園子の手に触れるまで1秒かけ、その手が絡み合うまでさらに2秒。
ムードと緊張感、触れあうことによる弛緩と新たなムードの形成。
たっぷり時間をかけ、昂っているはずのふたりがどんな顔をしているのか次のカットに移るまでわかりません。


ロマンチックなムードで、確かに同じ気持ちでいるはずだけれどもふたりの意思が相互に確認されぬまま、非常に近い距離を最後の一押しで埋める。
これこそ「両想いのふたりがそういった雰囲気のなかでやっと気持ちを確認しあう」文脈、片想いの成就といった恋愛文脈で用いられる演出なのです。


しかしこのふたりがいわゆる恋愛であるなどとは誰も解釈しません。
これまでの関係や状況、前後の会話からして、しないようにできている。

つまりここで起きているのは恋愛「演出」の脱恋愛化だということです。




百合ジャンルにおいて、恋愛「表現」の脱恋愛化はさして珍しくもありません。

平気で手をつなぎベタベタしたり喧嘩をしながらいちゃいちゃしたりハグをして「ずっと一緒だよ」と言ったりというような、男女であれば恋愛に分類されるであろうものを恋愛表現とここでは指します。

百合文化はそれらをあえて"恋愛"とは言わないことで「恋愛でなくてもこれらの愛情表現を用いることができる」と示し、恋愛が独占していたそれらの表現を奪取し再構築を施し、関係の拡張をはかっています。
両端が恋愛と友情となっているひとつの軸があるならば、それらを分断していたものに積極的に切り込むことで境界線をうやむやにし、「恋愛であろうが友情であろうがどちらでも構わない」状態を作り出してきたのが百合というジャンルです。*1



しかし意外と、言葉によらずに恋愛シグナルを発する演出の脱恋愛化はそこそこ珍しい部類に入るのではないでしょうか。

恋愛演出をあえて取り入れるカリカチュアライズや、恋愛演出のメタ化なんかはあっても、直球に「男女なら恋愛の文脈で扱われる演出を恋愛文脈でないところで使用し演出の幅を広げる」って、あまり見かけません。

私もそこまで造詣が深くないので最近のトレンドはわりとそんなものだと言われたら納得するしかないのですが、なんにせよ、こういう本来「恋愛」特有のものであった演出さえも「恋愛」以外の文脈で、しかも見逃しそうなくらいさらっと描かれるようになってるのは、喜ばしいことだなと思います。

(まあ、「男女でなら恋愛となることが女同士だと恋愛として扱われない、女同士でも恋愛にしろよ」問題は依然として残りますが)


加えて、冒頭でさすがに少女漫画でももっとひねるわと言いましたが、それは男女の恋愛文脈だとこの演出はもはや陳腐化していて使いづらいということです。
それが文脈を越え、新たな文脈を獲得して再利用できるのなら、表現の拡張、表現の豊かさが広がったと見ることもできます。




余談の域ですが。

百合ジャンルにとって(オタク文化にとって)「女の子ふたりに恋愛があるからといってどちらかが男役を担うことはない」というのはいまさら言うまでもないんですが、改めて言っておいても損はないんじゃないかと思うので記録します。

前述したように『結城友奈は勇者である-鷲尾須美の章-』5話でふたりがいちゃいちゃしていたのは事実。*2


祭りに来て浴衣姿のふたり。
鷲尾須美の浴衣姿を撮る乃木園子。
初々しく恥じらう鷲尾須美。
「見られて恥じらう」女性的記号を表す。

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(『結城友奈は勇者である-鷲尾須美の章-』5話)

一方射的で、まったく目標物に命中しない乃木園子をアシストするのもまた鷲尾須美。
か弱い女の子に教え諭す役割もまた典型としては男の子のポジションではないでしょうか。

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(『結城友奈は勇者である-鷲尾須美の章-』5話)

ちなみに「お祭りという非日常空間で」「体を密着させる」のも恋愛ものでよくある手法です。

(参考:『プリティーリズム・レインボーライブ』16話)
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典型的ジェンダー論です。
でまあふたりとも「戦闘美少女」であり、守り守られる役割分担も振られていない。
つまり役割の曖昧化、無化があたりまえに行われている、ということですね。

*1:桜Trick』がキス表現の脱恋愛化を果たしえたかは判断保留

*2:アホらしいけれどもまたもや「百合というよりこの年齢の女子特有の近すぎる友情」というのを見てしまった。「百合」は恋愛に限定しない言葉であると何度言わせればというより以前にあのシーン見て「この年齢特有の」文脈にしか収められない乏しさよ……