青い月のためいき

百合とかBLとか非異性愛とかジェンダーとか社会を考えるオタク

なぜ『鉄血のオルフェンズ』はあの厳しい世界で同性愛を肯定できたのか

放送中に書いて一旦放置してたけど私はこういうの書くためにブログやってるんだ。

シノ「なあ、やっぱヤマギってよお。俺のこと、好きなんかなあ?」
ユージン「はーあ? なーに言ってんだよお前。いまさらか」

(『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』46話)

男が男を好きと言っても否定されない優しい世界。
……そうでしょうか?
最終話放送後、アトラとクーデリアが同性間での婚姻関係にあると明かされたらしいと聞きました。
それでも問います。
鉄血のオルフェンズは優しい世界か?

シノ「あ やっぱ? いやそうかなあとは思ってたけど、俺ら家族だろ? 身内でどうとかピンとこなくてよお」
ユージン「え? そういう……」
シノ「ほんと、いろんなやつがいるよなあ、ここは」

(『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』46話)

鉄血の世界が優しくないどころか残酷なまでにシビアであることはご存じのとおりです。
ではなぜ"優しく"描いたのでしょうか。描けたのでしょうか。


鉄華団は「家族」です。
そのなかにヒューマンデブリや宇宙ネズミの別はなく、ただ、虐げられてきた者たちが生き抜くための人が人として平等にあれる結束があります。
家族だから、誰がなにを考えようと、誰がなにをしようと、誰が誰を好こうと受け入れられる。たとえほかの誰に異端視されていようとも。
内にさえいればすべて一緒くたになる。
すべて。ここがポイントです。
戦闘員と非戦闘員だって、運営幹部であろうとそうでなかろうと、団員であるかぎり命は等価だと言うのです。(唯一オルガ自身は自分の命よりも団員たちの命が重いと考えていましたが)

オルガ「つながっちまってんです 俺らは
死んじまった仲間が流した血と、これから俺らが流す血が混ざって鉄みたいに固まってる。だから離れらんねえ 離れちゃいけないんです」

名瀬「血が混ざってつながって……か
そういうのは仲間っていうんじゃあないぜ? 家族だ」

(『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』8話)

それは厳しい世界のなかで生まれたひとつのオアシス。オアシスであろうと努力している共同体。


鉄華団の外の世界は変わらず厳しく弱い者は強い者に虐げられつづけ、結局は鉄華団も後ろ楯を必要として強者テイワズに吸収されます。
そこでのマクマードや名瀬との義家族の契りは鉄華団的平等な「家族」とは真逆の、上下関係によるホモソーシャル関係です。

よって、オルガが鉄華団を「家族」と呼び、名瀬を「兄貴」と呼ぶとき、それはまったく別の響きを持ちます。
そんなホモソーシャルの存在する世界で名瀬は言いました。

名瀬「気持ちわりいなあ、男同士でベタベタと」

(『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』8話)

ホモソーシャルは男らしさを至上とし最も男らしい者を頂点としたヒエラルキーの世界です。
名瀬は多くの女を自分のものにすることで「男らしさ」を視聴者に印象づけていますが、その立派な男によってここが同性愛が排除される世界であると示されました。
すなわち、男らしい者が権力を行使し、男らしくない者が虐げられる世界だと。持てる者が支配し持たざる者が搾取される世界だと。
ここはそういう厳しい世界です。




ここで「男らしさ」で束ねられた男同士の絆を分析したセジウィック氏が喝破したホモソーシャルの仕組みを引用します。

ホモフォビア(引用者注・同性愛憎悪)とは、特定の弾圧を少数派に加えることによって、多数派の行動を統制するメカニズムである

(『男同士の絆─イギリス文学とホモソーシャルな欲望─』イヴ・K・セジウィック 訳:上原早苗 p134)

最も肯定されてしかるべきホモソーシャルな絆と、最も否定されてしかるべき同性愛とを比べると、両者には往々にして重大な類似や一致が認められる(中略)
要するに、男性にとって男らしい男になることと「男に興味がある」男になることの間には、不可視の、注意深くぼかされた、つねにすでに引かれた境界線しかないわけだ。

(『男同士の絆─イギリス文学とホモソーシャルな欲望─』イヴ・K・セジウィック 訳:上原早苗 pp136-137)

セジウィック氏の主張はこうです。
本質的にはさしたるちがいがないはずの「すばらしき男の絆」と「悪しき男の恋愛」を分断しホモセクシュアルな「男の恋愛」のみを弾圧する。
それによっていつ「お前はホモだ」と後ろ指をさされヒエラルキーを転落するかわからない状態にして怯えさせることが支配側の目的。
支配するために男たちを追い立て統制しているのだ、と。

男たちはヒエラルキーから転落しないよう、「すばらしき男の絆」を築きあげつつ同時に「"ホモ"じゃない」ことを証明するために、異性愛規範(女を手に入れないと立派な男になれないという価値観)、家父長規範(いちばん立派な男を頂点にした序列関係)に奉仕します。
男たちがこれら既存の支配的構造に勝手に奉仕してくれるおかげで、支配側は労することなく男たちを統制できるのです。


このようなホモソーシャル世界において、同性愛は否定されます。
「男らしさ」が追求され「男らしい」上昇志向がもてはやされるのです。
弱者集団鉄華団も、ホモソーシャル世界のなかで強さを獲得せねば居場所が得られないため搾取者であったCGSの幹部を敗ってからのち、上昇志向へと変貌していきます。

オルフェンズ一期では、鉄華団はのしあがる力で「男らしさ」を見せつけました。
たとえば5話ユージンの無茶な特攻の成功。CGS幹部殺し、ヒューマンデブリを搾取する海賊ブルワーズ壊滅、世界を支配する巨大組織ギャラルホルン退治+蒔苗氏護衛、クーデリアとともにすることによる名の躍進。
鉄華団をでっかくする」というオルガの宣言は、「この厳しい世界で強者から搾取されないよう男らしく勝ち上がってホモソーシャルの頂点にのぼりつめる」ことを目的としたものでした。

この時点で鉄血のオルフェンズは名瀬により優しくなんかないホモフォビアな世界観を示され、ヤマギの恋愛感情はさりげない形にとどまり隠蔽されます。
男らしさの追求により、ホモセクシュアルホモソーシャルから排除されているのです。




しかし二期に入って「男らしい」上昇志向にメスが入りました。正の面ばかりではいられなくなったのです。

地球支部編の意味なき戦争がはじまりそして終わりました。
オルガが急に目指した「火星の王」は不穏な響きを持ちます。
と同時に鉄華団を離れるタカキ。
テイワズの序列を揺るがす鉄華団の急進ぶりが叔父貴分に目をつけられるしがらみ。
むなしきヤクザの抗争。
マクギリスにそそのかされあれよあれよとなんのためかわからぬ戦いに巻き込まれていく鉄華団

名瀬「今のおまえはこう叫んでいるように見えるんだ
目指す場所なんてどこでも関係ねえ、とにかくとっとと上がって楽になりてえ、ってな」

(『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』38話)

オルガは最も男らしい者になるために火星の王を目指したのではありませんでした。ただ「家族に楽をさせてやりたいから」。
そこに男らしさへの羨望はなく、純粋な家族への想いだけがあります。


だから権力抗争とは無縁なのです。杯を執着なく簡単にマクマードに返還しテイワズと決別するのもホモソーシャルと相いれなかったからです。
そんな鉄華団が、ホモソーシャル的上下関係をなにより重視したジャスレイを殺すのは、ホモソーシャルの無意味化、破壊となります。


男らしさは無意味に散っていきます。

シノの無茶な特攻は失敗しました。
女(ラフタ)はやくざの権力抗争の犠牲になりました。
名瀬はオルガのせいで権力抗争につけこまれ兄貴分として「男らしく」かっこつけて死にました。
幼い頃の兄貴分の「男らしさ」が底辺に堕ちたつらさから「男らしさ」の幻影を追いかけたハッシュもなにも成せずに死にます。*1
上官への忠義に邁進したアインは散り、権力を目指したマクギリスも志なかばで死にました。


二期では一期で築き上げたホモソーシャルの実態を暴きその優位性を徹底的に破壊しました。
「騎士道」だの「男らしい無茶な戦い」だの「上下関係のしがらみ」だの「義兄弟の絆」だの「忠誠を誓った者への忠義」だのという、ホモソーシャル的なものは、次々にその脆弱性をあらわにして内部に巻き込まれた者から潰えていきました。

ここで明らかになるのは、支配構造のピラミッドと男らしさのヒエラルキーが同一ではなかったことです。
ラスタルに象徴される支配構造はちょっとやそっとでは破壊されず残りつづけました。厳しい世界は回りつづけ、持てる者は持ち、持たざる者は搾取される。
そんな世界のことわりはなんら揺らぐことなくピラミッドの基盤を固めました。

他方、「男らしさ」ヒエラルキーはけしてよい結果をもたらすものではないうえに動かざる力ですらなく、もろい幻のようなものだったことがわかったのです。
ジャスレイを殺した(=ヒエラルキーを崩壊させた)オルガのため息にはむなしさがにじんでいました。

だから同性愛を肯定できたのです。
鉄血のオルフェンズ』は男らしさを賛美しなかった。
ホモソーシャルの欺瞞は露呈し、統制される男の序列はいともたやすく失われた。

物語は一度幻想が壊れたホモソーシャルのためにわざわざホモセクシュアルを忌避する必要はないと判断したのでしょう。
男たちはホモソーシャル構造へ自ら組み込まれにゆく根拠を失い、統制されえなくなったのですから。
そのため、「俺らのやってることは"男の絆"であって"ホモ"じゃない」などと同性愛の存在に怯える必要すらなくなったわけです。
ホモソーシャルの凋落を象徴するもののひとつが同性愛の露見なのです。

ちんけな上昇志向は上から叩きつぶされました。
少しも優しくなんかない世界、残酷でシビアな世界だからこそ、そのシビアさはホモソーシャルの欺瞞へも手を伸ばし、美化されたホモソーシャルを破壊しえて、同性愛を露見させたということです。
なんとも皮肉ですね。




そして鉄華団です。
CGS時代からの男集団ですが、彼らは序列をつけられ虐げられる、権力を持たない最下層の者たちでした。

「とっととあがり」たくて「男らしさ」の頂点を目指したオルガのまとめる鉄華団
その本質にはホモソーシャル的序列などありません。彼らはヒューマンデブリも宇宙ネズミも関係ない、平等な共同体なのだから。*2


集団の秩序を維持するために男たちを統制する機能などいらなかった。
鉄華団は都度「辞めたいなら辞めていい」と開かれていた。オルガの信念である「筋を通す」はいかにもホモソーシャル的な、縦のつながりを強固に維持するためのもの。
しかしオルガは家族だけには例外扱いをしていて、共同体を辞めるにも「筋を通す」必要はなかった。

鉄華団は同性愛を弾圧することで男たちを統制し結束を促す必要がありませんでした。
だってそんなものがなくても彼らは仲間のために死に、死んだ者とこれから死ぬ者の血が混ざった「家族」として「平等に」つながっていられるから。
ユージンの「いまさらかよ」によって団員みんながヤマギの感情を受け入れていると暗示されましたが、鉄華団は最初から、同性愛なんて忌避する理由を持たなかったのです。

こうしてヤマギの想いは露見し、昇華することを許されたのでした。よかったね……



※それでもあの世界で同性婚が可能なことが解せない人へ。
例えば奴隷が解放されても同性愛は虐げられる世界に、例えば表向き人種差別が禁じられようとも根強く差別の残る世界に住んでるんだぞ我々は。といって伝わりますか。

*1:オルフェンズの"多様な価値観"描写がうまくいったとは正直言えないけれど、三日月とオルガ、三日月とハッシュのホモソーシャル関係を、ホモソーシャルの幻影が剥がれ落ちてさえ「それでもそこにあったもの」として肯定したのはうまいなあというか、好きだなあと思います。感想です。

*2:しかし、ザックがオルガに意見できずに服従を見せたのは彼が鉄華団ホモソーシャル集団と思い込んだからでしょう。目上の権力に逆らってはいけないという萎縮が組織の瓦解の一端となったのはやはりホモソーシャル概念の敗北と言えます