青い月のためいき

百合とかBLとか非異性愛とかジェンダーとか社会を考えるオタク

一騎が無恋愛者として描かれたことがもたらした意味

蒼穹のファフナーEXODUS』最終話までのネタバレありです。

セクシャリティーに関する考察。
正直言って前のブログから「ファフナー ホモ」なんかのたぐいのワードで検索されてるのが物凄くストレスだったんですけどもう今はいいです、なんの屈託もなくそういうつもりがなくても無意識に「ホモ」を軽んじ蔑してしまう人が読んでくれるなら。
特に同性愛は生産性がないとか寝ぼけたこと言ってるような人(これ同性愛者でも思ってる人いるからな)に理論を差し出せるなら。こっちは理論武装してますからいつでも戦闘準備は万端だ。


本題に入りましょう。
一騎が「恋愛をしそうにない人」として描写された結果どういう意味をもたらすことになったかという話です。
なんかそっちのほうがわかりやすいかなと思ってタイトルには「無恋愛者」と入れたけどとりあえず一般的には恋愛感情を持たない人を「無性愛者」と呼称するので(便宜上)そう呼びます。




まずいかにして一騎は「無性愛」らしさを得たのか。
第一段階に、お馴染みシリーズ通して描かれてきた総士への執着がある。
第二段階に、ヒロインの誰ともくっついてこなかった事実と、ヒロインそれぞれが恋が成就しないことを受け入れていたこと、いや恋の成就を望んでいなかったことがある。
ここまでがHAEまでで開示されたこと。
そしてそれはEXODUSで完成したと言っていいでしょう。
その完成点はどこか。
迷わず17話だと私は言います。

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「生きよう、ふたりで」
(『蒼穹のファフナーEXODUS』17話)

ここの一騎のあまりの異質性。
「ああ、こうして手を差しのべる人は、我々の知っている"一騎"では絶対ないな」と思わせる強さ。

カノンへのあしらいは実際ひどく残酷に表現されてきました。
我々はカノンへの同情を馳せ、同時に一騎へのやきもきを募らせていきます。
そうすると「恋愛感情という概念がない」と思わざるをえないし、思いたくなってくるのです。でなきゃカノンが不憫すぎるので。



そしてそんな一騎が最後の最後に子供を持ちました。
実はこれ、かなり革新的な描写なのです。

さて。それがどういうことなのか、どんな意味を持つのかを考察していきます。

ファフナーの世界では次から次へと人がいなくなっていきます。人口は日に日に減少していることでしょう。
人の生態系そのものが脅かされ、このままでは人間が掃討されてしまうので、人口の確保が急務です。
加えて竜宮島には「平和を知る子孫を残していく」という理念が存在しました。
海神島がどういう方向性でいくのかはわかりませんが、今後は海神島もできる範囲で「平和」を育てていくことでしょうし、人材も必要になるでしょう。
とにもかくにも「受け継ぐこと(受け継いだそれをどうするかは措いても)」がひとつのテーマでもあるファフナーにおいて、子孫を成し後継し、新しい芽を育てることは当然に見据えるべき事案です。


現実にも子孫繁栄が生物の目的だというまことしやかな共通認識がありますね。人類、生き物すべての原理だと。

その認識は本当に害悪でしかないのでふざけんなって思うけど、仮に、仮にです。
本当に子孫を残すことが生物の目的ならば。
子孫を残すことが、ファフナー世界の人類の目的ならば。
人間はそのためにどういった方法を取ることができるでしょうか?

一対の男女が番って生殖し、産んだ子を主に女親が育て少なくとも三人から成る家族形態をつくる。

典型的、一般的なロールモデルがあります。もうこれは我々の体感するようにびっくりするほど強固な規範として重座しています。

では、子孫を残していかねばならないファフナーの世界で、性愛から脱けた(恋愛をしそうには思えなくなった)一騎はどうなるのでしょうか?
もちろんのことこのロールモデルが適用できませんし、たとえ総士と番ったとしても、人工子宮でさえ子供が産める世界ではありません。
そのため別の選択を取ることを余儀なくされました。
結果二代目総士を託されたのです。彼はひとり親になりました。

ところで「子孫を残す」という言葉の意味。もうひとつ思考を導入して、これを少し突き詰めて考えてみます。
子孫繁栄が生物の目的ならば、と言いました。
どうもその場合より多くの子を成した個体が勝ち組で偉い、というような通念があるようです。なぜなら殖えることが正義だから。
しかしながら、産んでもその子が育たなければなんの意味もありません。
人間の場合「子孫を残す」の意味は「遺伝子を残すこと」と「育てること」に分けられます。我々は生後すぐに自立できる種でも、何千も卵を産んで数で戦う種でもないので。
最終的に「残る」目的のためにどちらが重要かといったら明らかに「育てる」のほうでしょう。
だから"人類の子孫繁栄の目的"においては、一人の個体が10人産むよりも一人の個体が10人育てて生存させるほうが評価されてしかるべきなわけです。(役割を完全に別物と捉えた上でどちらかといえば、の話です)

そしてファフナーの世界で一騎が「子孫繁栄」「後継者育成」に資するための役割こそ「育児」となったわけです。

これの表す意味は何か。
男女で番わなくても子供を持つことができること、そして、自らの遺伝子を受け継いでいなくても、女親がいなくても、名目上の「親」がひとりであっても子を育てられること。

もっともこれらは今までのファフナーシリーズでも描かれてきました。(そしてそれが私がファフナーを好きな大きな理由のひとつでした)
元々竜宮島は男女の性行為による生殖が不可能な空間でしたし、血の繋がらない親子関係や戦死によるひとり親家庭、母親のいない家庭が多数存在しました。
子孫繁栄後継者育成するのに「男女の番い」「男女の性行為」「自らの遺伝子からの生殖」「ふたり親」「母親」は必ずしも必要ではないと今までにもファフナーは描写してきたのです。

ならば一騎の革新性は一体なんなのか。
それが、子供を育てるまでの過程で「恋愛」の不必要性をこれ以上なく明確に強調したことだと思うのです。

恋愛をどこかに介在させることなく、恋愛感情を持たないままに、「人は子孫を残す」ことができる。
無性愛者となった一騎の描写が意味するところは、「男」の「誰とも番わないまま」の「ひとり親」が「性行為」と「生殖」と「自らの遺伝子」、そして「恋愛」なしに「育児」という子孫繁栄をできる、ということなのです。

「自らの遺伝子を継承する」という意味では、マカベ因子もまた子孫繁栄の一種と言えるかもしれません。
むしろ「子孫繁栄」と聞いて想像しうる通説はこちらのほうでしょうか。
「子孫繁栄」のふたつの意味、「遺伝子を残す」「育児」どちらともを一騎はこなしてのけたと見ることも可能だと思います。



こうしてファフナーは子孫を残すという目的に対するロールモデルをきれいに破壊してみせたのです。

この多様化した社会においてあの典型的ロールモデルはもはや懐疑の対象になっています。
ファフナーはその世界観においてあるいは無自覚にその懐疑を取り入れ規範を破壊してきましたが、最終的にEXODUSラストにて、"無性愛者"がひとりで子を育てるという再構築を成しえて完成したというわけです。

(もちろん私はここで大前提となっている「子孫を残すことが人間最大の目的」という考え方を否定します。「なぜ殖えようとするのか」の答えが出ていないのに「繁殖が生物の義務だ」と主張したがるばかばかしい物言いには耳を貸しませんし、粗雑すぎる"生物学"を論拠にイデオロギーを個体に押し付ける矛盾に気づこうとしない思考停止には辟易します。海神島の数千単位の人口・世界状況と現実の日本の一億以上の人口・社会状況とを重ねて見るのはさすがに無理があるしな)

ちなみに。
総士は「性行為なしに」「単性生殖で」子供を残したことになるためこの人も規範を破壊していると見ることができますが、さすがに人間業を超えているのでちょっと再構築にはならないね……。
妙なリアルさと突飛なSFとのバランスがいいね……。



ともかくとして本エントリで言いたいことはひとつ。
"子孫を残して"いかねばならない世界の中で、無性愛者が、性規範、異性愛規範、性愛規範、生殖イデオロギー、家庭規範に引っ張られ回収されることなく、無性愛者のままでなおその役割を遂行できたことへの称賛です。
無思慮な凡百の作品であればたちどころにステレオタイプを採用してしまうような環境にもかかわらず、真摯にありうべき展開とキャラに向き合った落とし所が結果的に規範の破壊と再構築に結実した事実が私は嬉しかったんですよね、という話でした。

そしてこれはEXODUS放送途中に書いた↓のアンサーエントリでした。
koorusuna.hatenablog.jp

ファフナー異性愛規範を脱出しえるのか。

……まあ、ここに注目してたからこそ、正直EXO21話の"異性恋愛っぽさ"が私は誰かがいなくなることよりショックだったので、これを本当に書いていいものだろうか……一騎と真矢ちゃんは本当に今後恋愛関係を得ることがないだろうか……と悩んでいて、書くまでに最終話放送後半年以上経ってしまいました。
そんなん今現在わかるわけねーだろ!とやっと思えるようになったので書きましたが。

追記
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今現在わかるわけねーな。