青い月のためいき

百合とかBLとか非異性愛とかジェンダーとか社会を考えるオタク

水城せとな『窮鼠はチーズの夢を見る』『俎上の鯉は二度跳ねる』考察

読み返してたら色々浮かんできた。

引用部分色つき。


★今ヶ瀬の呪い

今ヶ瀬は異性愛至上主義(ヘテロセクシズム)に影響を受けてるゲイである。

女性と結婚して子供作って年老いるような“正しい”人生を、恭一は歩める人間なのだからそうでなければならないと今ヶ瀬は思い込んでる。

恭一に執着していながら、正しきヘテロの道を歩める恭一が道を逸れるのを恐れたのね。

そしてそれが二人の関係に呪いをかけた。

貴方が今いるところから俺のいるところまで来るのはとても大変なことなんですよ……」と。

恭一は流され侍だけあって案外楽に今ヶ瀬を受け入れてた。

今ヶ瀬はそれが逆に恐かったからそう言ってしまったんだと思う。

以来恭一は「ヘテロの俺がゲイの今ヶ瀬を満足させるほど愛して幸せにしてやることはできない」と、ゲイとヘテロの間に(今ヶ瀬の作った)深い溝を意識するようになってしまった。

これまで自分はノンケだと言い聞かせてきたはずの恭一が、このときからしばしば「ゲイなら/同性愛者の男なら」というセリフを発するようになる。

つまり以前はヘテロである自分にホッとしてたけど、以後はもどかしさ・やるせなさ・後ろめたさを感じてるのね。

そしてゲイとヘテロは愛し方すら違うと思うようになる。

もーこの呪いが二人の揉め事全ての原因なわけです。

まあ恭一も自分の居心地が良いだけなのは愛ではなくエゴだ、と、今ヶ瀬自身に真摯に向き合うようになっていくから悪いことばかりではないんだけど。

で、で!

そう捉えると、腹をくくった恭一の、最後のセリフが効いてくるのよ。

隘路はお前だ そして俺だ」。

これ、恭一から今ヶ瀬の呪いが解けたことを示す回答である。

二人の間にある溝や途方もない障害は、“ゲイ”と“ヘテロ”ではなく“お前”と“俺”だったのだ!!

そこからの、「これからどうする?

恭一側の呪いは解けたが今ヶ瀬自身に滲み込んでる呪いって依然効用中なのよね。

まだ「貴方はゲイでもないのに」と言ってるし。

今ヶ瀬は、恭一が腹くくってゲイ側まで来た、という解釈をしてると思う。(私もしてた)

解けた呪いを共有していないため、そこに未だ別れの不安は残っている。

だけど流された末の「これからどうしたらいい」でも執着の成れの果ての「これからどうしよう」でもなく、独りよがりにならないために二人で考えようとする姿勢を表す「これからどうする?」なんだよ。

二人でゆっくり今ヶ瀬自身の内面化されたヘテロセクシズムとありもしないゲイとヘテロの間の溝をなくしていって、“今ヶ瀬”と“恭一”の問題を見つめて橋をかけていこう、と掲げたわけだ。

(「隘路はお前だ そして俺だ」ってセリフ色々な意味が詰まってて面白い)

★そんな今ヶ瀬の描かれ方ってリアル

この話の終わり方って結構グレーゾーンなのよね。

今ヶ瀬の問題は取り除けてないんだから。

いつ終わりがくるかわからない、そういう描かれ方をしてる。

大団円じゃない、でもそれ、上の話を鑑みても凄くリアルだなって思う。

ヘテロ規範って、思ったより根深い。

それこそ同性愛者は幼い頃から「男女で結ばれなければならない」と刷り込まれる環境にいたなら、自分は異常だとかなり苦しむわけで。

多分そのへんは今ヶ瀬も思春期過ぎたあたりに乗り越えてちゃんと自己肯定してきたんだと思うのよ。

それでもヘテロでいられるならそれに越したことはないと、頭でなく無意識下で理解してしまってる。

ヘテロになれない自分はヘテロとは全く違うのだと線を引いて、ヘテロの恭一が自分のせいで道を“踏み外す”ことに罪悪感を感じてるし、ゲイとヘテロの恋愛なんか上手くいくはずがないと思ってる。

抱いちゃいけない体を犯して汚してしまっている気がして」……って、ほんと今ヶ瀬同性愛差別の被害者。

合意の上のセックスくらいで何をそんなと思うけど。

でも、それほどに癒着して剥がれないものだ。

そしてこれから時間をかけて二人で剥がしていくべきものでもある。

しかし漫画としてひとまずの決着を付ける際に、恭一の「心配すんな」はとても適切な言葉ね。

今ヶ瀬と一緒になったあと別れたところで人生どうにでもなる。

ヘテロの道を“踏み外した”わけじゃない。元々そんな道はない。

俺は貴方の「今」を食い潰すだけで幸せになんかできない」と悩む今ヶ瀬を理解した上での発言だし説得力もあるし物凄い安心感を齎すわな。

そしてこれ、『窮鼠』で恭一が自分に問いかけた「今ヶ瀬の世界へ行って置き去りにされたらどうすればいいんだ」への解答でもある。

つづきは小ネタ。

koorusuna.hatenablog.jp