『ゼーガペイン』に心理描写や人間ドラマはないのか?
ADPいろいろと最高でしたね……。大怪我して帰ってきました。
ADP見る前に書き上げたかったけど時間がなかった。
そんなわけでADPのネタバレはありません。TV版におけるゼーガの考察です。……最後にちょっと白字でネタバレするのでそこだけ注意。
ADPも私の興味するところでネタになりそうなものはあるから今年中にはADPネタで投稿するかも。
最近TV版『ゼーガペイン』を見たという友人の友人が、ある日こんなことを言っていたらしいと耳にした。
「ゼーガペインには心理描写がない。人間ドラマがない」
それを聞いた途端、私の頭は「?????」でいっぱいになった。
この心理描写だらけの作品でいったいなにを言ってるんだ?????
恐らくゼーガのファンで「心理描写も人間ドラマもない」と思っている人はいないでしょう。
私が思わず一本ブログ記事を書くことになるほど驚いた理由も、ゼーガが表面的なSF設定と物語展開だけを羅列してドラマをおろそかにしている作品ならば絶対に私はファンになっていないと確信してるから。
まずひとつ発言者の情報として、「婉曲表現を読解するのが不得意」というのが与えられた。
だから読み取れないんだなって納得するのは簡単だけど、あんなにもモノローグが散りばめられた、つまり婉曲表現の挟まる余地のない心理描写を読み取れないってことが果たしてあるのか??
発言者もどうやらオタクとのこと。物語の読み方がそもそもわかっていないということはないはず。
ではその人の感想と私の見ている世界の矛盾、これはどうやって説明できようか?
疑問を探るべく、TV版を改めて見返しました。
そしてやっと、どちらの意見も矛盾なく説明できる答えが見つかりました。
一騎が無恋愛者として描かれたことがもたらした意味
『蒼穹のファフナーEXODUS』最終話までのネタバレありです。
セクシャリティーに関する考察。
正直言って前のブログから「ファフナー ホモ」なんかのたぐいのワードで検索されてるのが物凄くストレスだったんですけどもう今はいいです、なんの屈託もなくそういうつもりがなくても無意識に「ホモ」を軽んじ蔑してしまう人が読んでくれるなら。
特に同性愛は生産性がないとか寝ぼけたこと言ってるような人(これ同性愛者でも思ってる人いるからな)に理論を差し出せるなら。こっちは理論武装してますからいつでも戦闘準備は万端だ。
本題に入りましょう。
一騎が「恋愛をしそうにない人」として描写された結果どういう意味をもたらすことになったかという話です。
なんかそっちのほうがわかりやすいかなと思ってタイトルには「無恋愛者」と入れたけどとりあえず一般的には恋愛感情を持たない人を「無性愛者」と呼称するので(便宜上)そう呼びます。